ほろびた星をゆくまいまいつぶりのような生活だなぁ、とおもう。最近、行く先も目的も知らないけど足があるからとりあえずのそのそと歩いているみたいな気配を体の奥に感じることがあって、そういう時は決まって胴体は冷たいのに手先が熱を持っている。指先から放出されるこれが体に僅かに残った最後の温度かなぁといつも思うのに、寝て起きるとまた動き出す。ほろびた後もせかいは続くのだなあ。知らなかった。いくらか前に何者にもなることをやめたようなわたしは、案外とこの目的のない歩みが気に入っているのかもしれない。胸が涼しくて、耳たぶはひんやりと、指先ばかりが熱い。透き通ったような変に晴れやかな気持ちだ。殻を背負って、まんまるい星をゆっくり歩く。あんまりゆっくりだから、この星を一巡りするのに心臓は間に合わないだろう。でもいいや、とおもう。気まぐれに決めた方角とは逆側にわたしのための宝物が埋められていたとしても、そのことを知る機会が一生のうちになくても、別にいい。もしもどこかにそんなものがあったのなら、ただそこにあってくれてよかったとおもう。なかったのなら、わたしは最初から何処に向かってもよかったのだといううっとりするような事実が残る。とにかく、わたしこと、まいまいつぶりはこのまんまるい星が(その何万分の一しか歩めなかったとしても)とてもすきだということだ。この文章も、いつか埋もれて星の一部になったならうれしいな。永遠に掘り出されない化石になって、誰も知らないけどそこにあるものになりたい。どこで埋もれるかは、のろのろ足がいつまで動くかだけど。ほろびた後のせかいを、あとすこしだけまいまいはゆく。