なんやかんやと調子がわるかった名残があって、どうも一部の心の機能がやけに敏感になっている。かなしい、とか、さみしいとかを感じる辺り。様々なものをみてはしょっちゅう不意の痛みに襲われる。誰かの日常だとか、過去にもらったメールだとか。足跡を辿ってみたら、「何かを持っている」と感じる存在(他人や過去の自分)に対して痛みをおぼえるらしい。楽しめるものがあったり、誰かと繋がっていたり、何かを生み出していたり。ということは、今のわたしは楽しんだり繋がったり生み出したりを出来ずにいて、そのことが辛さになっているということだ。それはそう、とおもう。分かってることを、また明確に言葉にしてしまった。今のわたしは、かなしみに敏感な分、楽しさやよろこびを感じる機能が鈍っている。とてもとても、そうおもう。目覚めたらカーテンを透く日差しがきれいで、それだけでとてもいい気分になれた日々があった。今はそうじゃない。そうじゃない日々は、やっぱり苦しい。時間薬に任せていればどうにかなるのだろうか。この日記に結論はない。なにかたのしいこと、をまたしたいな。そんなちいさな朝の呟きです。