ともだちがアパートにきてくれたから、遊んでホットプレートでごはんを食べて昼寝して、さっき駅まで見送ってきたところ。楽しかったなあ。強風のなか部屋に戻りながら、さっきの生ぬるいあたたかい時間をどこかに保存しておけないかなぁと考える。スノードーム。日常のあらゆる場面をスノードームに封じ込めておきたい。戻ることはできないけれど、触れられないガラスの中に素敵な時間がずっと在り続けているというだけで救われる瞬間が、たぶん人生には、これからもある。考えながら、それって過去の時間そのものじゃないかと思いいたる。わたしが通りすぎただけで、振り向けばあらゆる過去はそこに佇んでいる。自動的に進み続けるわたしから少しずつ過去たちは遠ざかっていき、やがて輪郭がぼやけ、曖昧な影になり、スープの中のじゃがいもみたいに後ろの風景にまろやかに溶け込んでゆく。そうなれば過去を思い出すことは、とろとろのスープを飲みながら中に入っていた具材を想像していくみたいなものだ。きょうのまろやかな時間もきのうのしびれるような時間も、一年後にはきっとおいしいスープ。しあわせで淋しい。時間ってそういうものなのだなあ。偶然も必然も、そうやっていつかのわたしは許していくのかもしれないね。