日常の細々とした自由について

ブチ
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自立支援医療費支給の更新に来て、手続きを待ちながらこれを書いている。窓口を仕切る半透明のプラ板には、チーバ君のうちわがぶら下がっていて、満面の笑みだ。この動物は、笑っているところしかみたことがない。いつもこの表情なのかな。いやさすがに、寝床に帰った後には缶チューハイを傾けながら仕事の愚痴を言うこともあるだろう。でも、それを日中はおくびにも出さない勤勉さ。公務員だなあ。ここまで書いたところで、まだ手続きが終わらないので、机の上に子細にみてみる。ヘルプカードのリーフレットと、書類の書き方例と、あ、間違えて濁点を1マスに入れてしまった。これはいいの?ゆるされるの?そわそわしてきた。でも、窓口の方に指摘されなかったから通ると信じてる。文字を書くのはすきだけれど、書類を改めて書き直してくださいと言われると、それをきいた耳から体が悲しみに満ち満ちて、土左衛門みたいになってしまう。咄嗟にこんな表現がでるあたり、わたしは悲しみのことを液体だとおもっているらしい。この暑い中、体から余計に出す水は汗で充分だ。…手続きが終わった。幸いなことに滞りなく。さて帰ろうかと思ったところ、バスが来るのが20分後だ。役所内で待とうと思って気づいたのだけれど、こういうところには自由な使用法のベンチというのがほとんどないらしい。歩き回って、ようやくひとつだけ自由に座れるベンチをトイレの前にみつけて、座る。あと11分。所在ない。大抵の場合、役所というのは目的があって訪れる場所だから、やることを済ました後にも滞在しているのが予想外に所在ない。小心者だから、なんとなく身を縮こまらせてしまう。こういう時、堂々としていられるひとになりたいな。空いている電車の座席に荷物を置くとか、エレベーターの右側(関西だと左側)に止まって乗るとか、そういうことをできるようになりたい。ささやかすぎる大きな夢です。それをできない自分って、ちょっとつまらないなぁとおもう。自由になりたい、自由になりたい。寺山修司さんは「遠くにいけるのは天才だけ」と書いたけれど、じゃあ自由になるのはどうだろうか。凡人でもできるのか。あと30年くらいかけて調べてみたい。バスが来ました。それじゃあ、またね。

@nananto0
ガイトウ(街灯/外套) ことばで照らしたり、ことばを羽織ったり。