先日父が亡くなり、生き方について、宗教について今一度考える機会があったので、少し重い話ですが読んでいただけると幸いです。
前置きとして、祖父も祖母も父も母も、とても良い人で、私はとても尊敬しているし、愛しており、1mmも今の境遇を恨んでいない、むしろ感謝しています。そのうえで、「どうにかならなかったかなぁ」というモヤモヤを書きなぐってるだけです、よろしくお願いします。
祖母(母方)は、専業主婦で、家事全般を行っていました。私が生まれた時には既に創価学会員で、今でも会合に出向くなど、ゴリゴリの創価学会員です。
祖父(母方)は、定年以前は教員で、定年後は洗濯などの家事や囲碁を打つなどして暮らしていました。特定の宗教を信仰している素振りは、死ぬまで見えませんでしたが、恐らく仏教徒または神道を信仰しており、創価学会員ではありませんでした。
父は劇場管理関係の仕事をしており、休みが不定期でした。結婚以前から仏教徒で、インターネットに疎くは無い人だったので、創価学会について、あまり良い印象ではなかったのではないかなぁと思います。
母は教員でとても忙しそうで、土日が休みではあるものの、平日は夜12時帰りが当たり前というような人です(今は改善されつつあるようですが)。私が生まれた時から創価学会員ではありますが、祖母ほど熱心というわけではなく、ほどほどといった印象を受けます。
私と弟(2つ下)は物心着いた時には既に創価学会員で、会合などによく連れてかれていました。友達と遊ぶ時間が減って嫌だなぁ、なんでこんなことするんやろと思っていましたが、当時は宗教なんて言葉聞いたこともないし、特別変なことだとも思っていませんでした。
この6人で、そこそこに広い一軒家で私たちは暮らしていました。
まず私がおぼえている最初の事件は、祖父と父が夜怒鳴りあっているのを聞いたことです。当時、まだ10歳そこそこだった私は、男の大人2人が何故喧嘩しているのか、どうして怒鳴りあっているのかわからず、とても怖かったです。後に知った話ですが、祖父と父は仲が悪かったらしいです。喧嘩しているのを見聞きしたのはその1回きりで、子供への配慮はちゃんとあったんだと思います。
数年後、私が中学を卒業する年(というか卒業直後)突如として父が家を出、別居をはじめたらしい。母に事情を聞くと、家の改装等の話を祖父が勝手に進めたことに父が我慢ならなくなったと。どちらかというと父親っ子だった私はそれなりに心にダメージを負いましたが、高校という新しい環境なこともあり、父親がいない生活に次第になれていきました。
疲れたので今回はここまでで、続きは気が向いたときに書きます