「しずかな」と「一人」の違い

nanatsugi
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何回この話するんだって思うけど、しずかなインターネットの形式に望むことを何度でも言語化したい。

最初に言っておきたいのが、私はこのサービスが大好きであり、アンチでは決して無く、ただ、いいサービス過ぎて今後への期待が強すぎるだけの人です。

現状このサービスは

  • 「誰にも記事も見せない(公開設定にしていてもSNSなどにURLを貼らないと誰にも存在を知られない)」

  • 「SNSにリンクを貼って記事を見てもらう」

の2択しかない。

以前開発者の方が、しずかなインターネットの「しずかな」の具合はユーザーが選んで欲しいと書いていたが、私にとっては選べる選択肢が少なすぎる

私のように、SNSが嫌で逃げた先でここに辿り着いたような人としては、自分のSNSに貼ってしまった時点で、もう「しずかな」場所ではない

SNSのフォロワーに見られている可能性がある…言ってしまえば、「フォロワーにバレている」という時点で、自分のSNSアカウントの延長線上という感じになる

しずかなインターネットの記事を貼る用のアカウントを作れば良いが、それはなんか…じゃあそのアカウントで長文を投稿すれば良いだけでは?と感じてしまう

この記事を書いた時点では誰にも教えていないから、私のこのアカウントと記事は全く誰にも知られていない。

とても「しずか」だ。

しずかすぎて、虚無だ

ローカルのメモ帳と全く変わらない

インターネットに上げる意味は、正直無い。

私は、人が大勢行き交うSNSという街から逃げた

でも誰もいない部屋に行きたい訳ではない。

「一人」が良いわけではない。

郊外のカフェのような、人がいるけれど騒がしくない、たまに少しの話し声や、ペンを動かす音、食事をする音がする

そのくらいの、勉強や読書に丁度いい「しずか」さを求めてる。

ここの使い方に、そういう選択肢ができることを、毎日祈っている。