叔母が亡くなった。まだ55歳。卵巣がんだった。訃報を受けたのはつい先ほど。大好きだった。
叔母の病気を知ったのは、私の祖母の告別式だった。
私は産後まもなく、叔母に会うのも久しぶりで「叔母さん痩せたなあ」と、ただ思っていたのだが、実は闘病していて痩せたらしい。
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娘を産んでから近しい人が亡くなってゆく。
娘が生まれたことと、他人の死を結びつけるのはよろしくないのだが……そうでもしないと心を保てないほど、娘が生まれるまでは他人の死を身近に感じなかった。
娘が生まれて1年9ヶ月とちょっと。その間に私の大好きな人が5人もこの世を去った。
今まで葬儀で泣いたことはない。感情が動かない性質なのではなく、それくらいに近しい人の死を感じる出来事がなかったのだ。
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娘が生まれて里帰り中に、実家で同居している祖母が急死した。
新生児を育てる目まぐるしい日々に救われた。
消える命もあれば、芽吹く命もある。娘の誕生は、祖母の死から逃避したい私に言い訳を与えてくれた。
火葬を待つ祖母がいる屋根の下で、新生児が私を求めて声を挙げる。
実家で新生児を育てていたからこそ、間近で見た祖母の急変に対して心を誤魔化し、覚悟を決められた側面もある。
しかし、叔母は違う。8月の新盆で、娘の成長を一緒になって喜んでくれた。みんなで笑った。
いつも不思議だった。葬儀では近しいはずの遺族よりも、参列席の一番前に座る人たちが泣いている。
でも今は痛いほどわかる。遺族は故人に常に寄り添い、弱っていく姿を目の前にして、覚悟も決まる。そして、亡くなってからは泣く時間もないほどに忙しい。
私は、叔母の状況こそ逐一報告は受けていたものの、思い出すのはつい3ヶ月前の新盆のことばかり。
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福島に帰らなければ。叔母さんがいる故郷と、私がいる東京では、同じ時間が流れているはずなのに、私だけ乖離した空間にいるように感じる。
今は、感情が昂るわりにはどんな言葉を紡いでも陳腐に思えてしまって、書いては消してを繰り返している。
今日も娘の隣で眠ろう。