上野行きの都バス。平日の夜。車内は空いている。
本郷のあたりで、ダウンを着てマスクを付けた子どもを抱いたおばあさん、が乗り込んできて、この子だけ乗れますか、って運転手に聞く。
小学生未満の幼児の場合、大人と一緒なら同伴二人まで無料、幼児のみ乗車の場合は小児料金がかかります。
最初、運転手もそういうことだと思って、お子さんだけなら子供料金いただきますよ、って言おうとしたんだけど、どうも様子がおかしい。
ダウンを着てマスクをつけた子ども、だと思っていたものは、ダウンを着てマスクを付けた、そこそこ大きな犬のぬいぐるみだった。
気づいた運転手はおばあさんに、「一緒じゃないと乗れません」「一緒に乗るなら一人分の料金です」と告げる。
一人分も何も、最初から一人しかいないのだ、おばあさん以外の人間にとっては。運転手はそれなりに言葉を選んでいるようだった。少なくとも、「それはなんですか」とか「ぬいぐるみは乗せられません」とか余計なことは言わなかった。おそらく意識的に、最小限のやり取りで接客を終わらせようとしたのだろう。
おばあさんは「この子だけじゃだめですか」「わたしは用事があって」とか色々言っていたけれど、結局「乗るなら一緒に乗ってください」って運転手に説得されて、車内の優先席に座った。犬のぬいぐるみを抱いたまま。
あれが子どもじゃない、ってわかっていたのは、運転手と、私含め乗車時のやり取りを見ていた数人の客だけだろう。ぬいぐるみにさえ気づかなければなんの違和感もないフラットなやり取り。おばあさんの言動そのものに異様さは感じられなかった。
おばあさんは、「一人じゃだめだって」「まだ早かったねー」って、ダウンを着てマスクを付けた犬のぬいぐるみに話しかけてから、しばらくは黙って車窓を眺め、2つか3つ先の停留所で降りていった。