黒い猫とタンゴを

nanka_daya
·

昔、まだ某宅急便の会社に『メール便』があった頃の話。

当時は早稲田の短歌会で一番精力的に活動していた時期で、サークルの運営と、機関誌の編集発行人もしていた。それで、完成した機関誌を献本する作業の日。メール便で百通くらいの集荷をお願いして、学生会館の近くにトラックを着けてもらった。

当時のメール便はバーコードのついたシールで荷物を管理していて、集荷の際にその番号を読み取ってもらう必要があった。ドライバーさんが部数を数えながらバーコードを読み取っている間、トラックの荷台の内側の壁に手書きの文言が色々貼ってあるのが見えた。

紙にマジックで殴り書きされた文言の、努力とか意識とか成功とか。そういう自己啓発のための強い言葉たち。当時は使っていない表現だけれど、あれは「迫力のある」光景だった。

思い出したのは寺山修司の映画「さらば箱舟」のワンシーン。あの映画では名前を忘れないように「柱」とか「靴」とか「俺」とか貼られていたけれど、「努力」とか「意識」とか「成功」とか、そういう文言も、忘れないように貼られているのだろう。

自分を鼓舞するための強い言葉を張り紙にして、それを視界に入れながら日々を働く心理状態、については、あれから十年たった今の方がよく理解できる。そして、理解できるからこそ余計につらい。

一日がかりの仕事が終わって、夜遅く部屋に帰る。扉に挟まれた不在票を見るたびに、あの時の「努力」や「意識」や「成功」のことを思い出して、じんわりと胃が痛くなる。