ことねです。RSGT2024も最高でした。日々みなさんが実践経験から学んだ様々な知見を一気に取り込んで自分の中に体系を構築する三日間から多大な疲労感とそれを遥かに超える充足感を得ました。
各地スクラムフェスなどにも参加したことで知り合いも増えてたくさんギャザリングをさせていただきました。その中で一つ繰り返し何度も言われたことがあります。それは「質問をたくさんしていてすごい」です。
Discordの中でえわさんが「質問をする方法をプロポーザルにまとめてどこかで登壇してほしい」と仰ってくださりました。でも私に言えることはあまり多いとは思えません。なぜなら私は別に質問が上手だと自己認知していないからです。
再三に渡って言っているのですが私が質問をするのは私自身のため、エゴです。言い方が悪いですが例えば私なんかは必死にプロポーザルを書いても採択されるかの運命は委ねるしかない運営のみなさんが頭を下げてでも呼びたい人たちがキーノートスピーカーで、そんな人たちに発表のトピックに関連して自分の思考が及んでいないフィードバックをダイレクトにもらえる手段が質問です。一番最初に名乗り出るのはそれが最も確実に質問できるタイミングだからで、これも周囲に対して遠慮のないごくごく自己中心的な行為です。
もっと上手に質問できるようになるためには川口さんに何度かアドバイスいただいているように「自分の意見は混ぜず、聴きたいことを明瞭に尋ねる」必要があります。思考のコンテキストを交えて聴きたいというエゴが先行しているからこそその対比としての回答をもらいたいという気持ちから意見ベースで疑問を構築してしまう悪い癖です。単純に何かを得たいという自分勝手なな欲望が恥や外聞の閾値を超えたから質問をするのではなく、必要なエッセンスは何かをきちんと咀嚼して伝えることができる人こそ上手に質問ができる人だと私は思います。
私は頭の回転が遅いのでそれをスピーディーにできません。だから発表の前に、その発表内容に関連する今までの自分の経験や思考結果をまとめて不明瞭な部分を見つけておき、発表を聞きながらそれに対する回答を探し、見つからなかったら思い切ってぶつけてみるという非常に愚直な戦略をとっています。全くわからなければ「わかりませんでした教えてください」と質問すればいいのですが、部分的に答えが得られていると「あれ?私はどこからがわかっていないんだ?」という状態のまま勢いで手を挙げて無理やりそれを言語化する荒療治を選択してしまいます。だからぼんやりと質問のフォーカスが定まらず思考過程を交えて口から余分な言葉が流れ出てしまう。何かいい解決法ははいかなあと模索はしていますがいかんせん頭の回転は無闇に努力したからと早くなるものでもないので悩みの種です。
なので私の質問の極意(?)は「何を知りたくなりそうか予め考えておく」ことと「恥を捨ててでも聴きたければ思い切る」ことです。でもそれだと質問者さんや聴衆の皆さんの時間を必要以上に奪ってしまうこともあるのでもっと上手に質問できるようにならないとなあと思う日々です。とはいえ何事も練習ですし、まだ質問禁止にされていないし、どうするべきかのアドバイスをくれる人たちがいるから私はそれでも質問をすることはやめません。
そうは言っても本音を言えばいつ川口さんに「ことねさんは質問禁止ね♡」と言われるのかと正直怖くて仕方ないです。怖いというのはそうなってしまうことが怖いのではなく、そうなってしまうほどに自分が成長できないことが怖いといった方がいいでしょう。でもだからこそもっともっと上手になりたいですね。今後は事前に気になったセッションだけではなくありとあらゆるセッションで質問をしてみたり、逆に質問を言語化することに集中して実際の質問は講演後にスピーカーを捕まえてしてみたり、自分なりの工夫をしてみようと思います。
I will never be disappointed if you fail.
But I will be very disappointed if you stop trying.
新潟でDaniel Maslynからもらった言葉を勇気に変えてこれからも人類のためにできることで奉仕します。