「アウトプットをする」ということ

nano/kotone
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公開:2025/11/30

本記事はLAPRASアドベントカレンダー2026の初日を飾る記事です。ネタを色々と考えてみたのですが、下手にこのために何かをするよりも比較的アウトプットが多めの人間としてアウトプットをどう捉えているのかということを言語化しておこうと思いました。

さて、語るからには定義を明確にします。ここではアウトプットを「自分の内に発生したモノを他人の目に触れる形にすること」と定義します。ITエンジニアの文脈で言えばわかりやすいのはソフトウェアですが、他にも私が「アウトプット」しているものの中でも写真、音楽、登壇、記事などはわかりやすくアウトプットと認識されます。しかしこれ以外にもSNSでの発信や現実での会話など「アウトプット」と認識されにくいものもあります。「このアウトプットの定義は広すぎるのではないか」と感じる方もいるかもしれません。しかし私はむしろアウトプットの定義は広げたほうがいいと思っています。

世の中には「趣味」に対してハードルを上げる人がいます。「毎日本を読んでいなければ読書が趣味とは言えない(時間的コミットメント)」「本格的なカメラを持っていなければ写真が趣味とは言えない(金銭的コミットメント)」「それなりに上手でなければスポーツが趣味とは言えない(労力的コミットメント)」などなど。どこかでラインを引いて「ここからが趣味で、ここまでは趣味でない」と自分で決めつけます。アウトプットも同じです。「オリジナリティがなければアウトプットとは言えない」「誰かの役にならなければアウトプットとは言えない」「ある程度の反響がなければアウトプットとは言えない」。そんな風に自分で自分に対する「アウトプット」のハードルを上げていませんか?

「自分の内に発生したモノを他人の目に触れる形にすること」がアウトプットであれば随分とアウトプットは簡単に思えませんか?別にオリジナリティがなくたっていいんです、誰の役にも立たなくていいんです、反響なんてなくていいんです。たまたま形にしたものがオリジナルで、多くの人の役に立って、結果的に反響を呼ぶかもしれない。でもそれはそれです。アウトプットであるかどうかには関係がない。

私は言葉遊びが大好きで、例えば「『オリジナリティ』の『地鳴り』の部分」のようなものから回文からダジャレまで幅広く好きです。私が好きな回文には自分で思いついて自慢したくなる回文「夜寝る日も昼寝るよ(よるねるひもひるねるよ)」もあれば「住まいは田舎がいい、森と日溜まりで一寝入り、飛ぶ鳥、稲と日照り、まだ一人もいいが、家内はいます」のような自分で思いついてないけれどすごくて人に教えたくなるような回文もあります。前者はオリジナルで、後者はオリジナルでないですが、いま読者に対して「好きな回文」という概念を「文章」という見える形にしたという点で等しく「アウトプット」であると言えます。個人的には自信作の「夜寝る日も昼寝るよ」は回文としては珍しく文章として成立していて回文なのに怪文でない(ここで大爆笑)のが推しポイントです。

とはいえ人間という生き物は得てして「どうせアウトプットをするなら価値のあるアウトプットをしたい」と欲を張るものです。もしこれを読んでいるあなたがそう思っているなら私は強く言いたい。「いいからとりあえずアウトプットしよう」と。あなたにとってアウトプットをする価値があったのならそれはアウトプットをする価値があったのです。他者がそれに価値を感じるかどうかは全くの別問題です。だからといって周りが迷惑に感じるようなアウトプットまでしてもいいというわけではありません。嘘やデマ、独りよがりな自慢といった誰かに迷惑をかけるアウトプットはなるべくしないことがベターです。などと言いつつ、実際に何に価値があって何が迷惑かという基準も社会の変化とともに変遷していくので一概には難しいところではありますが。

ということで、アウトプットを応援するLAPRASで働くいちエンジニアとして、アドベントカレンダーというアウトプットをするための最高の言い訳が用意された今こそ「小さくてもいいのでアウトプットをしてみませんか?」という言葉をアドベントカレンダーの初日に贈ります。

@nano
しがないヒカセンエンジニア