思いが強くても、

”こんなに切に願っているのに”と、何年も同じところをぐるぐると歩いている人がいる。願っているだけでは、どこにもいけない。

こうなったいいのに、ああだったらいいのに、というその人は、自分が受け身だということに、どうやら気がついていないらしい。そして、他の人がどんどん先に進んで行くのを遠くから眺めている。

最初から”やりたいこと”をやるのではなく、”やれること”をやって、やりたいことができる環境にしていくこと。その話をしても、理想と憧れとだけを手に持って、「やりたいことがやりたい」と思いを強くしていく。

他の人から、その人にできるはずの魅力や旨味(美味しいところ)を教えてもらっても、それを出すこともしない。”やれること”はたくさんあるのに、やらないことを選んでいく。

思いが強くても、たくさん考えても、それは透明なままで、誰も汲み取ることはできない。

発露し、存在し、拾われて、食べられて、そこに価値があらわれてくる。

”やれること”からしか、”やりたいこと”ができる場所に進めない。

試しに”やってみる”ができた人だけが、扉を開けることができる。

行動に、他者や世界は反応する。

@nao_nanashima
補助線としての思考。@manaka_kotohogi