衝動のままに文章を書こう。
ただただ、赴くままに。
楽しい日々が終わってしまった。
短期間に複数のモノを作った。手を動かし続けた。とりとめのない思考をする暇など1秒だってなかった。
こんなことができるのも、走り切るまで目的があり続けるからだ。
そして、それがきっと人のためになるというあいまいな感情ベースの希望が後ろについているのは常に安らぐ。
そんなあいまいな後ろ盾を持ちながら時間に追われている瞬間がたまらなく好きだった。
ぼくは何かにかこつけてモノを作るのが好きだ。
何かを作ったときだけ唯一自分を許すことができるから。
今ぼくができることはおそらくたくさんある。たくさんあるだけなのだ。それを使って何かを成してはいない。
だから常に何かを作って、何かを成そうとしている自分を作り続けないと空虚な自分を肯定できないのだ。
この空虚という正体を最近掴んだので少し書かせてほしい。
ぼくが空虚と呼んでいるのは
「作る技術があるがストーリーやコンセプトを添えることができない」
ことを指している。
ここ数年いろいろな取り組みをしてきた。
コンセプトを作る人のサポートをし続けた。
いろんな景色を見た。
いろんな人と出会った。
いろんな体験を作り出した。
クリエイター面させてもらうこともできた。
ただ、最後に残るのはぼくは何者なんだろうということだけだった。
ただただ空虚が残った。
あぁ、この空虚から逃れるためにはどうしたらいいんだ。途方に暮れていた時、 VRChat が目の前にいきなり現れた。
VRChat という空間は自分が何者であるかを関係なく受け入れてくれた。
居心地がよかった気がした。
ここなら苦しみを抱えずに生きられるかもしれない。
そう思った。
数か月は苦しみを抱くこともなく、ただただのんびり暮らしていた。
のんびり暮らしているところに、推しに出会った。
推し T を作ったのが始まりだったと思う。
ほかにもイベントレポを書いたり、リプや会話を交わしたりした。
ただただ、喜んでもらいたくてそれをしていた。
推しはぼくにあれやって!これやって!といろいろお題をくれた。
ぼくはコンセプトがないし、感性というものも欠落しているからそうやって走り出す方向を決めてくることがたまらく嬉しかった。
それからというものぼくがずっと欲していた、表現の領域に手が届きそうな部分をやることが増えていく。
それは、写真のレタッチだったり、画像加工だったり、動画制作だったり、Unity の扱いだったり....
そうしていくうちに、ぼくが過去ずっとできたらいいなぁと思っていて止まっていた部分に手を出していることに気づいた。
そして、少しずつではあるが自分自身から湧き出るものが出てくるようになった。
それは本当にうれしいことだった。
今までの原動力は、これは自分が理解できるものなのだろうか?という知識支配欲的なものだけだった。
それがこういうことを表現したいからこの技術を取り入れてみよう。だとか、この雰囲気を出したいからこれ入れてみない?という感覚と技術の融合が自分の中で確立されていった。
そうしていたところに推しの誕生日が訪れる。
ここで盛大に祝いたい。そうして一連の制作物ができたのだ。
いつものフレーズを使ったローディング画面
「個人の節目である誕生日に、歩んだ歴史からお祝いされる。」
そんな体験を目指していた時に、タイルアートが目に入った。
ああ、写真をたくさん撮るVRChatにぴったりな方法があるじゃないか!
こんな経緯で始まったのが、このモザイクアートプロジェクトです。
これらはまさにコンセプトありきの発想だろう。
これが完成したとき、「ああ、やっとこれができようになったんだ」とすごく感動した。
もちろん誕生日を盛大に祝いたがために自分ができることをできるだけやっただけなのだが、思わぬところでとてつもない収穫があった。
ぼくに足りなかったのはおそらく強く誰かを想う気持ちだったのかもしれない。
もともとぼくはずっと人に興味がなかった。
その人が持つ知識と結果だけにしか興味がなく、何をしてきて、何ができるのかそれだけがすべてだった。
今だから分かる。ぼくは人やモノが歩んできた道のりを無視して生きてきた。
だから作ることができなかったのだ。コンセプトがある作品を。
コンセプトというのは道のりそのものだから。
それにようやく気付いた。
それに気づかせてくれた推しには感謝してもしきれない。
ぼくがぼくとして生きていくための希望が手に入ったのだから。
ぼくは今日という日を迎えられてとてもうれしく思う。