椎乃味醂さんが Ado さんのアルバム残夢に書き下ろした曲。僕は味醂さんの書く曲が本当に好きでずっと聴いている。特に好きなのが「痛みなんていらなかった」なのだが、この「0」を聴いて震えてしまったので感想や、考えを書き記そうと思う。
今回歌詞はここを参照した。
感想
僕はプログラマーだ。明確な答えが常に機械から示される。だから自分で考えるという行為が下手になってきている。その上、何事も答えがあると思ってしまっている。この曲に怒られた気分だ。諭された気分だ。僕は2000年生まれではないけどw。
僕は特に人間とのやり取りが苦手だ。それはこう在って欲しいと願うのではなく、こうすべきというルールを人間相手にも敷くことが多いからだろうと思ってしまった。気づいてしまった。
もうちょっと願うというか、こうだったらいいな。程度で他者と付き合うべきかもねって思った。
1:30 ~ 1:50 くらいまでかなぁ!音が良すぎる!!
https://youtu.be/E9UPr5SesCM?si=gN0vHeXWikAcaDjP&t=90
OSINT で聴いた音が多く使われているような気がしたから今回のプロジェクトベースは OSINT かなーという予想をしている。味醂さんは曲を作る時、過去のプロジェクトをベースに作るらしい。秘伝のたれ方式。
歌詞を見る
Verse1
嗚呼、陶酔の極み、悦に浸り右左
虚構で埋まるキャパシティ
QWERTYだけが武器らしい リアリティ、笑
んで何、お前だけが正しい?
虚しいね、不完全を肯定できないエゴの塊
最近のインターネット上でよくみられる視野が非常に狭く、自分の思考や自分が崇拝する人の思考が正しいと思い込んでる人に対する人が今回の曲の題材なのだろう。
特に今回はソースのない情報を鵜呑みにし、自分が正しいとインターネット上で日々格闘している人格が Verse1 からは読み取れた。
虚構で埋まるキャパシティや QWERTY だけが武器らしいっていう言い回しはをするのはかっこよすぎる。味醂節を感じた。
こういった視野が狭まった人を題材にする歌詞を書くことが味醂さんは多い。特に「知っちゃった」や「OSINT」はまさにこの題材である。
Verse2
「コレ、ソレが絶対正解です!」
とかなんとか宣っては毎日
Hyperなフロントを切り売り責任は一切合切放置。
表層だけ一人前に掏ってる
データコレクターの道理
とうに、鑠き回すだけ回され
荒れた00世代の矜持。
Hyper なフロントっていう部分は多分 HTTP(HyperText Transfer Protocol) のことを指しているのではないかなと思う。なのでこの文章も Verse1 同様、インターネットに書かれた文章のことを指しているのではないかと思う。
現代は、SNS やブログなど Web に存在する責任が一切発生しない見栄を張るために作られた文章を書き散らされている。それを得るインターネットネイティブ時代の 2000 年生まれの世代はそれに影響された者もいるし、嫌気がさした者もいただろう。
僕自身の体験としても 2015 年までのインターネットは最近ほど悪くなかったように思える。少なくとも僕は 2015 年までのインターネットは本当に好きだった。ずっとここにいたいと思ってた。しかし、最近のインターネットは本当に悪意/敵意に満ちている。見るのがしんどい。それをここまで適格に表現し、うっせぇわの印象が強い Ado さんが歌うのは意味より強く伝わってきた。
Pre-Chorus
心中を綴るには困る
どうにも狭すぎる余白
杞憂では済まなそうな
ブルータリティな社会を咀嚼
靭性ないメンタリティで
人生の色をブルーに焦がす
現在地も不明なまま
偶然できた道を進む。
難しい。
杞憂では済まなそうな
ブルータリティな社会を咀嚼
靭性ないメンタリティで
人生の色をブルーに焦がす
先ほど書いたが
しかし、最近のインターネットは本当に悪意/敵意に満ちている。見るのがしんどい。
をそのまま表しているように思えた。僕も学生時代は Twitter を見るだけで精神がダメになった。SNS 全盛期に生まれた僕たちは常に評価にさらされていて、精神が弱りやすい。そういう時は自分で進むべき道を探すことなどできるわけもなく、流れのままどこかにたどり着くまで流れ続ける。僕は途中で振り切ることができたが、そうなってしまうのは分かる。
でも、この歌詞にはどこか気づいてほしいという望みを感じる....気のせいかな?
Chorus
Fallible, fallible
Fallible, fallible
In life's gamble, we are fallible
Fallible, fallible
Fallible
In life's gamble, we are fallible
fallible: 間違えやすい。
In life's gamble, we are fallible: 人生は賭け。私たちは間違いをする。
これは以前味醂さんがツイートしていた内容そのものだと思われる。
Verse3
何かに宿る正しさなんて
本当は無いんだって
在るものじゃなく祈るものなんだって
今だって、「正しくあれ」と祈っているから
0からやっていくから
全部抱えていくから
その上を怖がらず行くから。
Verse1, Verse2 とは打って変わって対象をとってない。ここから先はこれまでに取り上げた対象と聴いている人に向けた味醂さんからの言葉があるんだろう。
前半では分断。ここからは受容の部分だろう。
自分の思考・思想すらもすべてが正しくない。自分の正しさは、あくまで祈りなんだと。その上で不安定とした自分自身の思考を抱いて進んでいく。
正しくないならもう駄目、正しくないなら信用しないではなく、それを受け入れて進むという表現をしたことに味醂さんの人間性が表れていると思う。
僕は人間のやることすべては間違えうる。だから信用しないっていうスタンスを徹底してきた。これはプログラマーという職業故、コンピューターが再現性のある挙動をするところから来ている発想だ。だから自分の思考・アイデアを信用しない。思いついたものは必ず調べる、裏どりをする。裏が十分に取れたら発言していた。この歌詞を考察して間違ってはいなかったが極端だったと反省している。もうちょっとあいまいにしていこうかな....とね。
Verse4
常に見直していく自分のやり方
Ey,反対側に居る奴も受け入れるこの在り方
嗚呼、喧騒の最中にあるこの心臓
から汲んでいく意志
矛盾と共存していく 00世代の矜持。
味醂さんは心臓をその人が持つ肉体(表層)と精神(深層)、両方を併せ持った意味で言っていることが多いと思うのでそう解釈していく。ref: https://www.studiognu.org/ja/works/limbo
自分が盲信している可能性を常に疑い、見直していく。見直していく具体的なやり方として常に自分と異なる人たちを受け入れる。
嗚呼、喧騒の最中にあるこの心臓から汲んでいく意志
かなり難しいと思った。これはインターネットにさらされている自分自身ともとらえることができるし、反対側の人たちのことを指しているかもしれない。ただ、
矛盾と共存 00世代の矜持。
といっていることから自分自身のことであろう。そう考えると、世間と違うことが抑圧された過去と違い、今は世間と違うことを受け入れようとしているフェーズが世界的にみられる。それを矛盾と共存と呼んだのだろうか。
Bridge
探している、この心臓の向く方向を
ただただ願っている、いつか肓定できるように。
ハロー、知らず失った灯よ
忘れてしまった視界よ。
何も分からなくなった今も
祈りだけは変わらず響いている。
Ooh
生きていくうちに自分以外の世界によって方向を変えられ続けた結果、自分自身が進むべき向き先や行きたかった場所を忘れてしまった人へ。探すことでそれらにまた出会えるといいね。といいながらも情報におぼれて、何もわからなくなった今も正しくあろうという祈りは続けていこう。かな?
おわり
ざっくり感想とそれぞれの歌詞から僕が感じ取ったことを書いた。圧倒的に拙い。ただ、味醂さんが考えている、伝えたい一端は感じられた気がする。僕は対話による思考や、自分から出でるものをとらえるのが苦手だ。だからこういった活動を通してなにか見えないかを訓練してもいいかもしれない。
この作品にはとても心を打たれた。だからこれを書いている。こういう衝動を大切にして、自分の進むべき道を見つけられたらいいなって思う。
おわり。