日々徒然(4)「言い訳」と「現状の問題点を把握」の違い、自分を甘やかしたり厳しくしたりのオシレーション

nappan23
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なにかに失敗した時、うまくいかなかった時、人間はそれを(元気があれば)認知し、改善しようとしたりするけれど、そのプロセスの中で「こうすればもっとうまくできたかもしれない」といったことを口にすると「言い訳するな」というフィードバックが与えられることがある。以前とある会社で働いていたときに上司に言われたことだ。

「言い訳するな」という言葉は、すごく鋭い牙だなと思っていて、自分では「現状の問題点把握」のつもりで言ったことが「言い訳」と言われたら、今後何も改善策を提案できなくなってしまう。

私はそれを最初に会社で言われたときからずっと、「言い訳」と「現状の問題点を捉えて列挙する」の違いってなんなんだろう、と思っていたのだけど、あるとき、「それらには違いなどなく、認知する人がそれをどう認知するかの違いだけなのだ」と思った。

2020年のある日、私は、自分のキャリアが如何に失敗してきたか、そんな中でもどうメンタルの状態を持ち直すかということについて記事を書いた。

そうしたら思いの外アクセスが増えてしまい、この記事は私が人生でこれまでに書いた記事の中で最も人に見られたものとなった。はてなブックマークのトップに掲載されて、この記事のPVはこれまでに5万ビューとなった。

その日は通知が鳴り止まなかったので怖くてすべての反応を見ることはできなかったのだが、当時Twitterで自分宛てメンションで記事の感想がひっきりなしに来ていたので賛否いろいろみてしまった。

記事に対しては「言い訳ばかり」という意見と「現状の問題点をよく捉えていますね」という両方の意見があった。

この記事を書く前は、ある言葉が「言い訳」と認知されるか「現状把握」と認知されるかは同じ状況をどのように説明するのかの言い回しの問題なのではないかと思っていたが、同じ文章を読んだ人の中で両極端な意見があることから、言葉の問題ではなさそうだと気づいた。

全く同じ文章を読んでいるはずなのに読む人によってそれだけの解釈の幅がある。「言い訳」と「現状の問題点を捉える」の間はグラデーションがかっていて曖昧なものだということにその時気付いた。

もしかしたら、私に好意的な人は私の自省を「現状の問題点把握」と捉え、私に批判的な人は「言い訳」と捉えるのかもしれない。

あるいは、人によっては、失敗をふりかえり改善点を見つけ出すプロセスは黙って一人で行うものであり、オープンにするものではないと考える人がいるのかもしれない。そのような人はふりかえりをインターネットにオープンにすることを「言い訳」と捉えているのかもしれない。

でも私はやっぱりインターネット上の失敗談、人々が内面をふりかえる記事などから学びを得て自分にも活かしてきた経験があるので、失敗談をオープンにすることが悪いことだとは思わないしむしろ良いことだと思う。

なので、もし仮に「お前は言い訳が多いな」などと言われても、自分の中で「これは自分の感情を整理するために必要なアウトプットだった」と思うことができるのであれば、外野が「言い訳が多い」と言ってくることなど気にしなくていいんじゃないかと思った。


…というのがまだ前向きで元気な時に考えられることで、もっと気分が悪い時はさらに下記のようなことを考えている。

上記のような経験などを経て「言い訳」という言葉に敏感になり、嫌いになっていった。「言い訳するな」というワーディングを使う人には近づかない、が正解とすら思うようになった。

なんなら、もっというと、「言い訳」して何が悪いんだろう!?という気持ちにすらなる。確かに言い訳をしないほうが偉いのかもしれないが、みんなそんなに完璧な人間なのだろうか?たとえば、何かを失敗した時に、「○○があったからできなかった」と思うことで、自分の心を傷つかないように守ることすらできる。

正直、上記のような自分の外に出しているブログの記事はそれでもまだ取り繕った内容だと思う。心の中はもっと言い訳に満ちている。一切言い訳をしないで生きていくのは無理なんじゃないかと思う。自責思考は行き過ぎると鬱にもなってしまうから、それよりはまだ他責のほうが心の平穏を保てるとすら思うこともある。他責はもちろん口に出すと争いごとなども生まれてしまうし問題にはなるが、たとえば心のなかでだけで他責していて、それで心の平穏を保てるならそれでもいいとすらおもう。たとえば私は最初の会社の上司はめちゃくちゃ嫌い・苦手だったから、この上司じゃなかったらもっと仕事がうまくいっていたのに…と心の中で毎日思っていた。会社の人と話す時はほとんどその人について悪いことは極力言わないようにしていたけど、結構つらかったから、会社の人を一切知らない友人に上司の愚痴を聞いてもらうとか何かストレスのハケ口はあっても良かったのかもしれないとすら思う。まあでもそれも、うまくやらないといけなかったよね。バランスを取るのが難しい。


久々に「言い訳」と「現状把握」の違いについて思いを巡らせているのは、最近仕事がうまくいかない時は、「でもでもだって海外で英語で働いているんだからそんなにうまくいかなくても仕方ないじゃん」という安直な心の逃げ道があって、そのことにずいぶんメンタル的に助けられてしまっている自分に気づいたから。私の人生、うまく行かないのがデフォで、めちゃくちゃいろんな歯車が噛みあったときしかうまくいったためしがないから、「海外で働いてるんだからそんなにうまく行かない」は、今までの人生で一番大きな言い訳を見つけられた、感すらある。本当は自分のタスク管理力不足、技術力不足、コミュニケーション力不足みたいな、英語力が理由ではないことでも失敗したりしているけど、それでも「あー海外で働いてるから仕方ないよね」って自分を甘やかしている自分を認知してしまったりする。

人に迷惑がかからない程度の甘やかしならいいのかもしれないけど、自分を甘やかし続けるとスキルやいろいろなことが停滞するので、いずれ立ち行かなくなる時が来る。たとえば、あまりにもパフォーマンス悪くて解雇されたりがあるかもしれない。それを未然に防ぐために時には自分に厳しくならないといけなくて、自分を甘やかす気持ちと厳しくする気持ちの間で行ったり来たりしている。ずっと厳しくしてはいられないし、ずっと甘やかしてはいられない。まあでも、どんなこともそうかな。今日も、自分に甘い自分に気づいたから、ちょっとこんな記事を書いて自分を振り返って少し戒めている。そうやって、行き過ぎたら戻って来る。歳を重ねて以前よりはこういうバランスを取れるようになってきた気もするが、まだフラフラしている時があるので、これがもっとうまくできるようになりたいな。生きるのが上手な人間とは、こういったことのバランスを取るのが上手な人間なのかもしれない。

@nappan23
Software Engineer@Ottawa, Ontario, Canada. オタクでフェミニスト. linktr.ee/nappan23