こういう本を読みました。金言はここ。
この本を手に取った理由は、人生の春休みに入り、これからどんな生き方をすればより納得感があるものになるかな、と考えたかったから。
良い変化ではあるのだけど、今までと課題が変質してきている。
いままでは、事業を立ち上げ伸ばし、独立して生活できるだけの金を手に入れるようになることが課題だった。
しかし、それができるようになった今、10年先、20年先も積み上がっていく選択をできているのか?という課題をよく考える。(なんか、りょっちが台湾で同じようなことを言っていた気がする。)
ちょっと上手く言語化できない。具体例を出すと、YouTubeのチャンネル運営だけやって、50歳になったときに何が積み上がっているのか?助けてくれる他人はいるのか?より深い好奇心に従えているのか?
書きながら思った。飽きとの戦い、という課題かもしれん。どう向き合うべきか?飽きを享受して脳死で同じ作業を続けるのもイヤ。でも新しいことに飛びついてじっくりと自分だけのムラマサを熟成させることから逃げるのもダメな気がする。
中庸。グラデーション。言うは易しだけど、自分なりの言葉を見つけていきたい。
ああ、冒頭の金言の話だった。
いまのYouTubeチャンネル運営のしごとは、「経験」が身につく。自分のムラマサは、段取りの力。プロジェクトマネジメント。これは自明。
いままで、段取りの力が磨かれる選択をつづけてきた。これは今後も選び続けるべき。
一方、YouTube運営って人脈が築かれにくい。自分だけでできるからね。人脈っていろんな種類がある。
師
客
ファン
仲間
弟子
友
家族
なんていうんだろう、自分なりの資産になっていく人たち、ということだろうか。YouTube運営におけるワーカーさんって、自分の資産にはあまりなり得ない。代替可能な構造にしてしまっているから。仲間ポジに映し重ねようとするからしんどくなる。
積み重なった行く人間関係が、よりネットワーク的に広がるの、あまりイメージがわかない。いや、イメージは湧くのだけど、いまその広がりによってめちゃくちゃ仕事上で恩恵を受けている感がない。
まあそれもそうか、24歳で人脈ゲーしてるやつ、だいぶ怪しいもんな。
おそらく、まだまだ自分は修行の身なのだろう。自分の経験をしっかり磨いて代替不可能なものにすることが、これからの人生の基本。きっとどこかでそれがつながる。YouTubeの運営も自信持って!
いまの経験をしっかり深めて、そして3割の余力で新たに探索する。ちょっと散歩してくるくらいの探索でOK。週末自由研究。
p.s.
しずかなインターネット超よい。話があっちいったりこっちいったり。これは100%他人に見せる文章ならNG。この土台の上だから書けるね。