今日は酔っています。ここで本当かしら?っていつも思っています。
酔っているとはどのような状態なのかしら。少し呂律が回らなくなっているように見受けられますが、吐き気もない、記憶は鮮明(だと思っている)、白線をまっすぐ歩ける、けんけんぱができる。このようなことを試している時点で普段と様子が異なるため酔っ払っているのかもしれない。
今日は楽しかったので酔った勢いで記憶のままに書いてみる。めちゃくちゃ学びがありそうな体験をしたものの、実践するにはまだ言語化が足りない。とにかくすごいものを見せられた今日この頃なのです。
今日は前職の同僚とディナーに行った。用事があったのでディナー前には前職のオフィスにお邪魔してすこし旧上長やリーダーと雑談をした。
余談だが、転職を機に前職で身につけたことの質の高さを感じていて、お世話になった人にはお礼を言いたいなーと思っていた。今日はお礼を言う機会だったのだが言いそびれてしまった。みんなの前だと恥ずかしいし、雑談の流れでは言いにくいよね、、、と言い訳をしている暇があったらDMでいったら良いのではなかろうか。正論を投げつけて踏ん反り返っている酔っ払いは置いといてディナーの話に戻る。
本日はムードメーカー二人と僕の三人でおしゃれな居酒屋に行った。
昇進や昇給の意思表明やモテ期、恋愛話などを交わしつつ酔っ払い特有のしょうもない笑いが溢れる良い会だった。
「ムードメーカー」という一語で二人のことを表してしまった自分の解像度の荒さにがっかりしつつ言語化及び吸収を試みたい。そう思いながら筆を取ってここまで書いてきたんだけど、何もわからない。
二人を見ていて感情や感覚に対するあみの目が細かいなと感じた。それから捉えた感覚に対する信頼も大きそうに見える。いや、ちゃうかも。言葉にできることや説明できることとそうではないことをハッキリ区別した上でその区別を信用しているのかもしれない。
うーん。あんまり言葉にできないことがわかったがこの疑問は持ち続けたいし、解像度を上げるためにもまたお話ししたい。(普通に楽しかったのもあるけどそれを言わない僕は天邪鬼かもしれない)
とにかくすごい二人とお食事に行けて楽しかった4/30なのであります。
縛りの決定はバフ、暗黙の縛りはデバフ。アインシュタインはそう言いました。いや、多分言ってないです。
今日も今日とて人を誘うのが苦手だの、社交性がないだの自分で自分を縛っていました。縛りによって(もしくは制約と誓約によって)得ているものがないのであればもっと自由に考えるべきなのです。自由になりたい。
仲良くなりたい人を誘うだの、感謝の気持ちを伝えるだの出来るんだからやりたまえよと思って生きています。
そんなかんたんじゃないよう
ふと我に帰るとインターネットに黒歴史を残しまくっているんじゃないかなと思いました。楽しいからいいんだけども