こんばんはnasaです。慢心してたなーと思ったのでその事を書いてみます。
今僕は社会人3年目です。もうすぐ4年目ですね。
2年目、3年目はいっぱい失敗をした感覚があるのですが分析・反省出来ていませんでした。ここではすべてを振り返ることはしませんが総評するとこんな失敗があったなーってことを書きます。3月には3年目まとめを書いてみたいですね。
あー。まとめを書きたいと思ったんですが、あんま向いていない気がしました。ポツポツ思ったことを残しておけばその内まとめになっているのでそれで良いかもしれませんね。
手札のカードを正しい場面で使えると思ってた
まずはこれがあったなーと思っています。(今もですけどね)
1年も働いているといろんなことを学びますよね。これが出来る、これが得意、Aで困ったらBをやったら解決するなどです。
で、学びが蓄積されると思います。これを手持ちの手札に例えて話をします。
手札が少ない時は状況に合わないと知りながら手持ちでなんとかするしか無い、もしくは手持ちでなんともならないので途方に暮れる事になると思います。
状況に対して最善のものを適用できる可能性が上がるので手札が増えるのは良いことですね。ただこれって3つの前提のもとに成り立っている気がします。
自分の今の状況を正しく認識できる
手札を正しく認識できる
適応した結果を予想できる
他にもあるかも。まあ僕が思いつくのはこの3つです。
ちょっと前の僕は手札が増えた感覚に酔っていましたし正しい場面で使えると思っていました。
しかし現実はそうではなかった。。。
例えば「メンテナビリティの高いソフトウェアを実装できる」だとしてこれはいつ使うべきでしょうか? 明日不要になるかもしれないソフトウェアを作る際に使う?1,2年は運用するソフトウェアを作るときに使う?etc...
例に上げたのはいくつかのスキルの複合なので現実はより複雑です。
だからってUNOをプレイしないのか?
ここでドロー2を使う、ここで色を変えるとかってUNOをプレイしないと学びづらいことだと思っています。
手札が少ないなりに、手札の選び方が分からないなりにプレイすることは学習という観点では大きな意味があります。(長期的に考えるとプレイしたほうがお得な気がする)
言いたいこと
結局何が言いたかったのだろう。。。
適切なものを揃えるのもスキルの一つですし、選び取るのもスキルだなーって思いました。
最後にお気持ちを述べるんですが、手札がないことを嘆きたくはないですよねー。手持ちで十分戦えてた可能性もありますし。あと最善手を常に指せるわけじゃないですが最善手を指すためには何が必要か考えたいですねー
そんな日曜の夜でした。今日はお寿司を食べたいです