4/7の日記。
昨日は餃子パーティーを開いた。友達、恋人、知り合いの類が全く居ない成人男性一人暮らしの住まうお城にホットプレートなどあるはずもなく、フライパンを舞台に餃子パーティーが催された。
ここでいくつか疑問に思うことがある。
僕と主賓の二人で行われた餃子食事会を「パーティー」と呼称してよいのか
餃子の皮で具材を包んでいないがこれは「餃子」なのか
この2つが気になりすぎて今日はお昼の12時まで寝てしまった。。。
まずはパーティーについて。
日本ではロールプレイングゲーム等で一緒に戦う仲間達などに関連して使われることが多い)。
出展元の信頼性が論点になると面倒なので省略させていただく。
2人一組を仲間たちと呼ぶことに異論を持つ人は居ないでしょうが、餃子作りを戦いと読んでよいですかね?多分、「餃子作りは戦か否か」というテーマで十数年バチバチにやり合っているんだろうけどここで僭越ながら終止符を打たせていただきます。
餃子作りは戦です(ドン!!)。終戦の祝に餃子パーティーでも開催した後に「これから人に会うのにニンニクを食べてよいのか」戦争でもやってもらいましょう。
餃子のタネは一般的にキャベツ、ニラ、ネギのみじん切りが必要になる。包丁を使い慣れていない我々人類にとってはこれは至難であり、刃物と向かい合う恐怖は戦に匹敵することは想像に難くない。
そして、みじん切り野菜とひき肉を手でこねる際に死体処理さながらの不快感を彷彿とさせる。
以上を持って僕は餃子作りが戦に類することを証明いたします。Q.E.D
反論は手書きの書面にて受け付けます(しずいんのレター機能がコレに該当すると思われる方はお気軽にどうぞ。僕は該当しないと思います。)
次。
餃子の皮で具材を包んでいないがこれは「餃子」なのか
これは呪術廻戦をお手本にしてみましょう。
伏黒恵、宿儺、羂索の三名が閉じない領域を発動する様子がしっかりと描かれています。伏黒のように建物を利用したものを考えるとさらに前例が増えると思われる。
そして読者は「ああ。領域って閉じなくても良いのね」と納得しているはず。呪術廻戦の累計発行部数は現時点で9000万。26巻あるので雑計算で300万人が買っている?
300万人に受け入れられているアイディアを600年頃からある餃子様に適応してよいのだろうか。
まあいいんじゃねってことで餃子を閉じなくても餃子ってことにさせてもらう。時代は変わるのだ。
ということで昨日僕が行った催し物は「餃子パーティー」ということになった。
餃子パーティーの様子は割愛するがここにKPTを残しておく
Keep
家事を二人でするのは楽で良い
料理の分担がうまく行けば1/2の時間で終わる。後楽しい
食器洗いは洗う担当と拭き取り担当で分けると楽。それから楽しい
ブンブンチョッパー
みじん切りがめちゃくちゃ楽になる
みじん切り野菜の塩もみ
野菜の水分がなくなりシャキッとして良い
付け合わせのサラダ
餃子だけだと飽きちゃうのでコールスローサラダを添えた
DJになる
音楽があるとなごやかな雰囲気になるし自然と話題が提供される
個性を出す
シーフード、チーズなど加えてみた。ヤミー
Problem
机がない
床で食べるパーティーなんて嫌だ
ホットプレートがない
床(食事場)とフライパンを往復するのはやや面倒
Try
机購入
ソファはあるが机がない。。
なんなら広い家に引っ越す
ホットプレートは絶対に邪魔なので購入を検討しない。
ちなみに今日の日記はいつもの雰囲気を変えてみた。
昨日読んだ朝井リョウさんのエッセイが面白く && 僕にもかけるんじゃね?と思ったので書いてみた。
今日くらいのものであれば息をするようにかけたけど、これははたして面白いのだろうか?
「面白い」と日々戦っている芸人さんは凄いですね。
朝井リョウさんのエッセイはクスクス笑いながら読めるのでおすすめです。電車やオフィスは避けて一人のときに読みましょう。変な顔されます。>_<
ところでエッセイって何?