隙自語:「ガンダム」と孤独な女児とGQuuuuuuXと

なすか
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公開:2025/2/3

 人類が、増えすぎたアニメをアニマックスで放送するようになってすでに四半世紀がすぎていた。TOKYO MXだのチバテレビだのが映らない地域の子どもは、アニマックスの再放送アニメでオタクに目覚め、育ち、そして死んでいった。


 小学校高学年くらいの時、親がケーブルテレビを契約した。それは、アニマックスという革新が潜在的オタク一家に起きたことを意味していたのだった。

 当時のアニマックスでは「機動戦士ガンダム」を延々と放送していた。「ガンダム」は、すぐにガンダム再放送世代を自称する父母と私をつなぐ共通言語となったが、同時に幼い私に孤独をもたらした。それもそのはずで、そんな昔の古くさそうなアニメに今更ハマる小学生なんて、1学年に1クラスしか無いような田舎の小学校には自分の他にいなかったのである。今よりも露骨に自分の興味のあることにしか興味のなかった私は、当然のようにいじめられ気味で友人がいなかったし、余計に孤立した。家庭訪問で先生から普通に心配されていた。

 しかし、正直言って当時はそんなに気にしていなかった!なぜなら「ガンダム」はその30年の積み重ねから、無限にコンテンツを提供してくれたからだ。TV版と劇場版の次は、ジオリジンを追い始めた。Zは新訳も見て、(なぜかZZは飛ばして)逆シャアまで鑑賞した。そうして、両親の影響もあって所謂「宇宙世紀」、とりわけファーストにしかほとんど興味のないオタクのガキが出来上がった。(だってなんかZ以降のアムロとシャアはかっこよくないんだもん。SEEDは目がキラキラすぎてなんかなぁ〜、と小6女児は思っていた。大人になってから見たらどっちも全然普通に面白かった。)

 家族で松戸のガンダムミュージアムに行き、入場特典の劇場版ガンダムのフィルムの切り取りをもらい、ザクマシンガンでガンタンクが印刷された的を撃った。出来立てほやほやのお台場ガンダムの股下をくぐりにも行った。富士急のガンダムのアトラクションを、平日で人が並んでないのを良いことに何周もした。お年玉をはたいて買ったガンプラを父と作った。母はギャンとザクレロが好きだと話した。BOOK-OFFにてジオリジンのついでに見つけた「トニーたけざきのガンダム漫画」を家族で読み回して笑い合った。思い返せば、なんと孤独で楽しい小学6年生だっただろうか。

 それから20年近く時が経ち、いかにも女児らしい移り気でガンダムから離れた後は、当然のようにエヴァンゲリヲンにハマり(折よく新劇場版も始まってしまい)、途中いろいろ拗らせつつも田舎を出た後はいろんなオタクの友人と出会い、私はついに30歳のサラリーマンになっていた。その間、ガンダムに関してはミーム的消費に終始していた私の前に、彗星のごとき早さと煌めきで、そいつは突然現れた。「GQuuuuuuX」だ。


 「GQuuuuuuX」はすごかった。誇張無しに、本編開始1秒で、孤独な女児の熱狂が蘇ってきた。詳しい感想は書き尽くせないので割愛するが、笑ってしまうくらい「分かった」。あの時、ケーブルテレビを契約してくれていなければ、ガンダムに出会っていなければ、こんなにも、本当にこんなにも、あの映画を理解し、楽しみ、面白がることはできなかっただろう。あの時の孤独は、思い出は、この日のためにあったんだ!ああ、人生にこんなご褒美が待っていたなんて……!そのくらいに面白かった。

 さらに「GQuuuuuuX」がすごいのは、「『水星の魔女』しか観たことないけど観てくるわ〜」と軽い気持ちで観に行って帰ってきた、しかも若い人が、次々とファーストガンダム(しかもTV版)を見始めていることである。実際、自分の友人にもいた。感想を抑えきれない友人たちのおかげで、Discordのチャット欄は黒海苔だらけになった。そして、今やTwitterには、初めてファーストガンダムを観た人の感想が流れ、シャアとシャリア・ブルのカップリングの絵を描く腐女子も現れ、アムロの超絶的なパイロット技能が再評価され、「シャアが来る」の有名すぎるMADが拡散され、トニーたけざきネタのトレスまで……。

 11歳の私よ、ガンダムの布教をハナから諦めていたクラスでひとりぼっちだった私よ。信じられるかい、こんなこと。

 ありがとう、サンライズ、スタジオカラー、そしてアニマックス。あの頃の孤独は、まるでどこにも無いみたいだ。