1月30日(「モテ」と立場性・草稿)

nasub_i
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・「哲学的思考は状況に対してメタ的な視点を提供するが、メタ的な立場自体は提供しない」という発想。風呂で突然思いつく。とはいえこの程度のことは、たぶんどっかの哲学者がさらに深化させた上で言及してるんだろうが。じゃあ具体的に哲学史的思考のなかに位置づけられるのかは、アカデミックな哲学教育を通っていないので知らん。

・今日のTwitterの例のバズツイ、みんな「モテ」の話好きね……という気持ちにしかならんな。ここ数日のトピックとユーザーの反応は見ていて心がすさむようなものが多かったので言及を意図的に避けていたという側面があったのだが、そんな流れの中で初めて言及したのが例の「モテ」の話題だったという点に「立場」性が透けて見えてしまいそうで……というのはやや自意識過剰か?

・その上で「モテ」の話だけあえて取り上げたのは、上の「立場」性の問題に関わってくる……という直感があるからなのであった。ああいう物言いに対して批判的な物言いをすると「そういうところが○○なんだよな」とか「効いてて草」みたいに話者の立場性の話に還元されてしまうのが腹立たしい部分ではある。トーンポリシング的というか……というかこれ、朝井リョウの小説でよく見るアレじゃん! ある人物が状況に対して批判的なまなざしを向けると今度はそのまなざしを向けた人物自身がが糾弾されるみたいな……(去年の11月21日の日記)

・あんなに「モテ」云々に拘るの、そもそも「誰々がモテる」云々であんなに盛り上がるのってむしろ学校空間的にも思えるし、あんな高校生みたいな価値観の中でずっと生き続けてることを彼らは「成熟」と呼んでいるのか……? 「学生気分」……?

・それはさておき彼の所作一つ一つは美しいとは思った。人を諭すことに特化した身体的動作。一点にこちらをむき続けるまなざしとカメラアングル。語りかけるような声音、「お前の友達」……ああいう形の「技術」はたしかにあるだろうし、「言説」にかかわる専門性を有する人は「加害性」で切り捨てるのではなくああいう点をもっと研究的に深掘りして欲しい。でもあの「技術」云々よりもあの動画が社会的なプレゼンスを得ていることの社会学的側面の分析とかの方がアカデミックな論文になりそうか。

・というかあれ、たぶん以前にモテたいと願う男性を募ったオーディション企画みたいなのしたひとだよね?その企画にナードっぽい人が応募してきて物議を醸して……みたいな騒動があった。あの企画結局どうなったんだ……?

・自分、思考や目的意識などがかなり抽象的な自覚があるのだが、むしろ「思考が抽象的なこと」それ自体が「立場性」に押し込めてくるあらゆる言説に対する反抗的態度になりうる? ひとつの実践形?(そんなたいそうなものでもない)

・「目的」の外在性と内在性。「モテ」に拘るのは外在的。内在性は具体的に評価しずらい。が、「モテ」は具体性なき外在的目的。物象信仰。外在的(=物象信仰)にあることを強いてくる社会制度や集団。内在性にこだわること。

・奴ら、むしろ「立場」に対する解像度が低いとも言える。むしろ究極に「立場」性に拘ることが逆に二元論を破壊しうる?(なんか「私小説の脱構築」みたいな話になってきたな)

(別のどうしても外せない諸々を片手にやりながらの日記なので、記述が粗雑になっている。気が向いたらちゃんと言語化したい)

@nasub_i
耐えがたいものがある