1月21日(昔の日記を読み返す)

nasub_i
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・いっぱい部屋の片付けをした。

・高2~大1ぐらいの頃の日記を掘り出した。いろいろ感じたことはあるがとりあえず全体を通した印象として、文面がまるっきり躁うつ病のそれみたいでびっくりしたな。己の無力感に打ちひしがれてるような表現と逆に全能感に満ちあふれている表現とが混在していて(すごいやつでは1日跨いだ左右でテンションが真逆だったりする)、何も知らないひとがこの日記だけを見たらまず精神状態を心配するだろうな……という。というか実際自分も当時の頃の精神状態が心配になってるし。そりゃネガティブな内容で埋められていたその翌日に「世界と”戦う”勇気とチカラをもらった」とか書かれてたら心配にもなるでしょ。あと当時から「作品の読みについての視点の凡庸さ」「自身の想像力の貧弱さ・陳腐さ」「表現の拙さ」「文才のなさ」などを延々と嘆くような内容がその多くを占めていて、しかもその嘆きがぶつ切れになった単語や文節で書きなぐられている(表現の拙さ!)ので、余計におどろおどろしい見た目になっている。あと「お前は○○(己の能力の至らなさを痛罵するような表現)」という表現も散見される。そもそも自分を「お前」と呼称しているのがまずヤバい。それと、1日の内容を出来事とかエピソードをベースに書かずに「印象」や「心象」をそのまま書き出しちゃうのもこの頃からの癖なのね。内容に「出来事」性が薄いというのは今でも悩みとしてあるのだが、全く成長していない……

・突然現れた、2行分のスペースをとって大文字で書かれた「お前が見ているのは本当に”三峰結華”か?」の一文。6月10日の日記。

(確か、SSF01に出す小説の原稿を進めていた頃の一文。あのときからキャラクターと自我の距離のとり方や、キャラの「解釈」の問題に頭を悩ませていたらしい。そんでもって自分のなかでは「二次創作の下手さ」がそのまま「文学的センスの足りなさ」と直結していたから、それゆえにあんなに思い悩んでいる表現ばっかり並んでいるのだろう。正直これ全く未解決の問題ですが……)

・高3の頃の日記は、ある日を境にして1行目に必ず「俺は数学が得意だ」「俺は○○大学(第一志望)に合格する」と書かれてある。「同人誌を出す」とある日も度々ある。どうやら「毎日日記に同じ内容を書いていたらそれが現実のことになるのではないか」という引き寄せの法則的な験担ぎのために毎日これを書いていたっぽい。数学が入っているのは、当時は数学科を第一志望としていて滑り止めでいま通っている大学の文学部を考えていたからか。とにかく、そういう文脈を全部忘れた今になってこれを読み返すと、その字面の強さと同じ表現が何ヶ月分もの日記にわたって並んでいるという見た目のインパクトに、とても強迫めいた何かを感じてしまう。しかもその大学落ちてるし(唯一実現しているのが同人誌のやつだけ)。で、受験日が近づくにつれて日記はその日の勉強内容のメモ書きが多くを占めていくようになり、そして1月31日でぱったりと止まっている。

(上のこれ、ちょっと七草にちかさんみを感じるな……)

・そういえば、そろそろSSFの申し込みしないとな。小説同人誌で絵を書く必要が一切ないから、サクカの制作がすぐ終わるというのは利点かもしれない。というか、個人誌の内容一切考えてないな……。そして06で買った同人誌もけっこう読み進めているのだが、感想を全然書いていない……まぁいいか。自分の書きたいペースで書いていきましょう。

@nasub_i
耐えがたいものがある