・いっぱい休んだ。
・ほとんどの出願作業と大学の諸々が終わったので、あとは院試の勉強するぐらい。まぁペーパーテストが課されるのは二月上旬に受ける一箇所のみだけど。
・よくある「自分のことが好き/嫌い」みたいな感覚のことについて、自分の場合について考えていた。そもそもこういう二分法自体がくだらないものに感じるというのはそうなんだけど、じゃあ自分は「自分のことが好き」なのかと聞かれたら半分そうで半分違うみたいな感覚。自分の人格は嫌いだけど魂だけは好きというか、自己を構成している諸々の諸要素には嫌悪感しか抱かないけどそれで構成された「自分自身」のこと自体はわりと好きというか。例えば目の前に自分の瓜二つの容姿と性格をした奴が目の前にいたとしたらそいつのことは蛇蝎のごとく嫌うと思うけど、じゃあそいつと同じ姿形と性格を持ってている自分のこともきらいなのかと言われたら別にそうでもなく、むしろ漠然と愛してるような気もする……みたいな感覚。
・自分、漠然と「ただ意識があるだけの身体を持たない主体になりたい」という欲望?があるのだが、上記みたいな自己認識の部分と繋がってる気がする。こんなようなこと言ってる哲学者っているのかしら、いるとしたら誰になるんだろうな?
・たぶん(デリダ以降の?)人文学的分野における「それぞれが固有の歴史と身体を有するところの主体」を評価しようという流れがあるんだと思うんだけど(本当か?)、自分は意地でもこれを引き受けたくないんだろうな。たぶん保坂和志とそこから影響を受けたような「私」性とか「日常性」とかを評価するジャンルとか、ちょろっと純文学方面でも話題になっている「当事者性」云々とか(なんなら「私小説性」そのもの)に愛憎入り乱れた感情がわき上がるのも、ブランショの「文学空間」的な発想にやたら惹かれるのもこの気質に由来している。