11月21日(朝井リョウにありがちの教条化された倫理/アンカット無製本)

nasub_i
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公開:2023/11/22

・大変気分の優れない1日だった。だいたい理由はわかっているのだけれども(進まない卒論をはじめとしたあらゆるタスクや責務に追われている感覚と、それに対してぼんやりして先の見えない将来と、自身の無力感と)。

・「何かしらの形でフィクションに関わる仕事をしたい」という願望だけは一丁前だが、その割には何の技術も習得してなければ実際の行動量も少ないんだよな。願望の達人。

・精神的にしんどくなると、思考が朝井リョウの小説みたいになりがち。カテゴライズされた人間像と教条化された倫理に対して延々と毒を吐きながらも、その批判意識までもがすでにその倫理を教条化する思考に(それこそ些細な文体上の特徴といったレベルにまでおいて)絡め取られてしまっているあの感じ。そして朝井リョウの小説に言及すること自体がすでこの「思考」の土俵に乗ることを意味してしまうので、読んでいてたいへん疲れるし何も言いたくなくなるんだよな。千葉雅也が確か「ほっといてくれという気持ちになる」みたいなツイートをしていた気がする(いま軽く調べたら出てこなかった。消した?)が、とてもよくわかる感覚。

・朝井リョウも千葉雅也もさん付けをするかで一瞬悩んだが、ここではプロで活動する文筆家は一律で敬称を略することにする。

・昨日言っていた部屋の整理は割と進んだ。きのう目標としていたところからは半分程度しか進んでいないので、大してやっていないと言えば大してやっていない。

・注文していたブランショの評論が集まったブックレットが今日届いた。「アンカット無製本」ってなんだろうと思ったら、どうやら仮綴じもしていない、折った紙を束ねただけの状態のことだったらしい。印刷した紙を折ってまとめただけの状態なので、断裁と製本は自分でしてくださいねということらしい。昔のヨーロッパだとこうした製本をしていたらしい(出典:https://web.quizknock.com/paperknife)。

(メモ:日付、年を欠いた日記、デリダ『シボレート』、https://www.fukuoka-pu.ac.jp/kiyou/kiyo25_2/2502_kamiya.pdf

@nasub_i
耐えがたいものがある