・院試絶対落ちた!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!第1志望落ち!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!さようなら!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
・それはさておき、先週に受験したところは無事合格していたので、とりあえず大学院生にはならせてもらえる。よかった……
・気晴らしに映画でも観ようと思い、試験終わりに『ボーはおそれている』を観た。全然気晴らしになるような内容の映画ではなかったが……冒頭でいきなり羊水に溺れている(変な表現だけど、あれはまさに「溺れている」表現でしょ!)ボーの主観が大写しにされて「観る映画間違えたな……」と思った。あそこでは医者がへその緒を切断するまでが1カットで映しだされてるんだけど、「へその緒を切る」という場面を主観的に描出するとあんなに気持ち悪い画になるんだなというのは大きな発見かもしれない。(このモチーフいいな……)子宮から出たばっかの赤ちゃんは目が開ききっていないために必然映像もぼやける訳なんだけど、そのぼやけ加減も画の気持ち悪さに拍車をかけている。
・内容はどうだろう……。いろいろと示唆を提供してくれるという点では面白いし、印象的なカットもいくつかあったのだが、心の底から愛せる映画かどうかを問われたら微妙だなという評価。前半部(ボーが森を抜ける辺りまでの)のシーンの虚実を混淆させるバランス感覚とか神経症の映像的・身体的表現とかは目を見張るものがあるなとは思ったけど、後半部の特に母親が生き返って喋りだしたあたりから「露骨に物語をまとめてきてる」ように感じてしまってイマイチだったかな。一人称で閉じた神経症的世界が描かれた前半2パートから次のパートで「家」を追われて家族も離散した男が世界を放浪するモチーフへと繋げられていって……とどんどんスケールが大きくなってくるのかなと思ったら、結局最後は母と息子の二者関係の話に回収されてしまったというか。抑圧的な父(実際にいるのは母だけど)によって裁かれる(去勢される)みたいなフロイト的神経症の話もあまりに擦られすぎてるモチーフだろうし、その擦られまくったモチーフよりにもよって結末の部分にもってこられても……という。
・それはともかく、あれは徹頭徹尾母子家庭における「マザコン」の精神病理の話をしてるんだろうなと解した。母子家庭には「父」がいないから単純に去勢が失敗して母子密着が起こるかと言われたら必ずしもそうでもなく、特にああいう高圧的かつ支配的な母親の場合には「愛情を向ける対象でありながら、同時に抑圧者でもある」という両義的な心象を同時に抱えるわけなんだよな。これ母子家庭歴が長かった人は分かる人いると思うんだけど。
・安部の『カンガルー・ノート』を映像化したら多分あんな感じになるんだろうな、とも思う。そんな感じの映画。