2月13日(口頭試問/写経と翻訳)

nasub_i
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・院試の口頭試問。想定していた十分の一ぐらいの内容しか話さなかった。もっと計画書の具体的内容や概念整理について劇詰めされるかと思いきやそうではなく、計画内容の表面的な確認と扱った作品についての簡単な質問で終わった。逆に受験した(研究室や指導教官ではなく)研究科全体の特色について把握しているかを問う質問に対してがしどろもどろになってしまったので、そこが不安の残る点。本当はその大学出身の某学者兼作家について言及したかったのだが、よりにもよって名前をど忘れしてしまったため出てこず、それなのに否定はしなかったので、「……知ってます!」みたいな絶対に何も知らない人の口調になってしまった。会社の面接だったら余裕で落ちてる。とはいえ「うちの院でも独自に学会があるから、まずはそこで……」云々の話は合格もらったものと受け取ってもいい……気がする……。

・あと『箱男』の解釈ついての、図像や写真の挿入をどう落とし込むかという論点。今回は一往復分のやりとりのみで済んだが、ここ細かく詰められたら危ないので(卒論でも巧妙に言及を避けていた)、先行論ちゃんと読み込んでそれなりの回答を用意するべきっぽい。具体的には永野宏志氏のシリーズ(あれ難しいんだよなぁ……)。というか「イメージ」と「物質性(マテリアリティ)」の話をするんであれば、写真や図像の話はクリティカルに関わってくるはずなんだよな。

・そういえば最近TLによく流れてくる、論文執筆のアドバイス等の院生指導に熱心な教授、日近文の院生も指導するよと言明していたのだった。あの先生の指導受けられたらかなり論文の執筆能力が身につきそうだし、なにより楽しそうなので、選択肢として考えておくべきだったかなと。いや、だとしてもちょっとキャンパスが遠くてあれのだが……。というか専門は外国文でも日本文の指導もするよ、って言ってる教員や研究室、思ってるよりもあるっぽいんだよな……。

・よく小説的な文章を書くトレーニングとして「写経」けど、絶対写経よりも翻訳の方が数倍トレーニングとしての質が高いだろという気がしている。どっちも「小説的文章」のシンタックスについての感度を高めるための練習という点では共通しているが、「写経」がどこまでも提示された「原文(=正解)」の模倣やそれへの追従にしかならないのに対して、翻訳の場合は「原文」からの翻訳をとおして「正解」がない日本語文へと落とし込まなければならない(既訳がある云々の話ではない)ので、出発点にあった「原文」から最終的には距離を取る必要がある。その点で「翻訳」には「写経」にはない、「正解」のない砂漠の中に言葉を投げ出す必要があるのであり、それは言葉を未だ形をもっていない虚空に言葉を与えることでひとつの世界を構築する「創作」という営みと通じる。本質的には模倣でしかない「写経」というトレーニングは、すでに「正解」がそこにあるという点でこの「虚空に言葉を与える」という壁を乗り越える契機を含んでおらず、それ故に「翻訳」に比べて一歩劣るトレーニングなのではないか。

・とはいえ、「翻訳」は難しすぎる上に手間も掛かりすぎるトレーニングではあるのだけどね……あと洋書を手に入れるのが和書に比べて難しくなりがちという難点もある。

・あとは諸々の事務作業と昼寝で1日潰れた。人生のような事務作業(事務作業のような人生)。

@nasub_i
耐えがたいものがある