私の人生において「ぼんやり過ごす」というのはほぼ存在しなかった
常に何かに追い立てられ、考えに圧倒され、誰かを気にしていた
最近Twitterで見かける「常に頭が降って湧いてくる何かに振り回されているので、動画や、Twitterなどの文字コンテンツを見続けないとダメになってしまう」的なアレ、私はまさにそれで酷い携帯依存性でもある
頭の中が静かだったことがない。常に誰かが喋っているか自問自答の題目が押し寄せてくる
先日お会いした文通相手の方に「茄子さんは、他の人なら2.3種類くらいに枝分かれしてるような部分が、10も20も枝分かれしているから常に考えを精査して選んで、っていうのに時間がかかってしまうのね(だから考え続けてしまうのね)」と言われた
この感覚がこれを読んでいる人に伝わるかはわからないが(そもそも読んでいる方がいるのかも不明だが)、確かに私にはありとあらゆる選択肢が多すぎて、その一つ一つを全て精査し潰して結論を出さないと不安で仕方ないし、動けない
例えば外に出てカフェに入ったとして「周りにはどんな人がいるのか」「服装から察せられるその人たちの属性は」「今何をしている?」「機嫌はどうだ?」「動き出しそうか」「私を攻撃してくる可能性は本当にない?」「他人を気にしているか」等々、全て病的な警戒心を元にした考えでアンテナを張り続け、大体常に疲れ果てている
家でも大体内在化されたアレコレ達に責め立てられいるので、何もしていないのに常にHPMPがゴリゴリ減り続けるスリップダメージを受けている
ところが最近、抗うつ薬の効果の「鈍麻」が強くなり、何も考えが浮かばず、何かする気も起きず、何かしても続かない状態になった
結果的にホワイトノイズを流しながらぼんやり天井を見つめる時間が出来た
人生初!ぼんやり!穏やか!静か!
病状は別によくなくて、ていうかよくないから薬が増薬されたわけだが、それでも家の中にいるのに何かに追い立てられて疲れる。というのが減り、ありがたい限りである
今日は買い出しに行けて、それ以外は何となく何かするでもなく携帯を眺めたり、うたた寝したりして過ごした
べろの調子もわりといい、ご機嫌である
でもTwitterに書くようなことも特に何もない
書きたい考えもないし、交流もそもそも大して得意じゃないし、呟くほどの日常もない
Twitterとの距離感、これくらいでいたいな