私の悪癖
たくさんあると思うけど、特に自分でどうなんだ?と思うのは、対人関係において「あ、私にとってのこの人の底はここだな」とか「あぁ、私が手近だったから私なだけで、別に私以外でも事足りるんだな」とか「興味関心の対象足りえるか」「私である必要性はあるのか」という部分にすごく気持ちと行動が左右される
"楽しい" "興味深い" "私の内面を見た上で私を選んでいる" など、自分にとっての快・不快以上にこの辺の価値観が他人への優先度に響いてくる
代替品にはなりたくないし、私は自分の興味関心を刺激し続けてくれる人がいい(ゴミクソ人間)、私の心は狭いから、私の心の中に誰かのための居場所を作れるスペースもそんなに多くない
自分の心の中に入れた人に、手をかけたり時間を使ったり、自分の持ち得る能力を使うことに躊躇いは無いし際限も多分ほとんどない
体力と気力の許す限り私はその人のために動こうとしてしまう
人間関係にグラデーションがないのだ
「めちゃくちゃ大切大好き人」か「一時的な興味を満たしてくれるだけの私にとって価値のない人」の両極端の間に、ほんの少し「お店やイベントで居合わせたらお話沢山したい、もし体力が許すのならば会いに行ったりお祝いしたりしたいくらい好きな人」があるだけ
私が他人に使えるキャパは多分普通の人より少ない。そのキャパを、私じゃなくてもいいよね?の人に使うことに意味を見いだせない
これは多分「必要とされたい」「私を見て欲しい」「貴方の心の中に私だけの居場所が欲しい」「見捨てないで欲しい」という私の原初的な渇望の裏返しだ
他人に「もういいや」って思われるのが怖い。だから人間関係を避けている節もある
対人関係問題は私の中でもとても大きく、病気由来の部分も沢山、生育環境由来のものも沢山、恐らく私自身の考え方由来のものも沢山
人と関わりたい!と思う反面、人と関わることが怖すぎる
常にありとあらゆる最悪が浮かび続けて苦しい
大丈夫だ。と思える人以外から逃げている
今年は、この辺も少し変えられるだろうか