コロナ禍で飲食店やその他のお店が厳しい状況になっているのを目の当たりにして思ったこと、それは、親世代ではなく、そのちょっと下の世代でもなく、自分達世代が率先して経済を回していく番になったんだなということだった。
好きな食べものが廃盤になった時、お気に入りのお店が閉店してしまった時、コロナ前の私は「残念だねえ」の一言で済ませていたように思う。あくまでその他大勢の一人に過ぎない私の消費動向が『何か』に及ぼす影響なんて、微々たるものというにもおこがましいくらいのちっぽけなものだと考えていた。
緊急事態宣言が発出されたり解除されたりして、外出の形が大きく変わった頃、お気に入りだった近所の美味しいお店が閉店してしまった。その時、傲慢にも私が最初に感じたことは「我が家がもっと頻繁に通っていれば…!」という強めの後悔だった。子育てがちょっと落ち着いてゆっくり外食する余裕が出てきて、食いしん坊で、お酒も大好きで、何より近所に住んでて、自分がそのお店のターゲットのど真ん中にいたことにその時やっと思い至った。優しくて働き者のオーナーご夫婦を思って泣きそうになった。実際、我が家の訪問頻度がちょっと増えたくらいで経営が持ち直したとは思えないが、他にもたくさんいたであろう『ターゲット世帯』の行動が少しずつ違ったら結果も違ったかもしれないのだ。
この時から、自分の消費動向が『何か』に及ぼす影響というものを明確に意識するようになった。大きい金額を動かせるわけではないけれど、だいすきなものに対しては、私が支えます!という気持ちを持って対価を払っていくことが大事なんじゃないかと考えるようになった。勘違い顧客になってはだめだけれど、率先して経済を回す年代になったのだという自覚は持ってやっていかなければならない気がする。コロナ禍で40代に突入した世代として、そう思う。
じゃあ何が『だいすき』に値するものなのか、いったい何に対して大事な自分のお金を払っていくべきか、ということをこの後ぐるぐる考えるんだけど、それはまた次回つらつら書きたいと思う。