初めて全身麻酔をした。終わって家で昼ごはんを食べてゴ決を観に行こうとして、もう一度外に出るのが面倒になってやめた。
前に内視鏡をやったときは喉にスプレーの麻酔をして鎮静剤を打って、ぼんやりしたまま気付いたら終わっていた。何が起きたのかよく覚えていない。痛みもなかった。気が付くと処置室が薄暗くてオレンジの灯りだけついていて、近くに看護師の気配はあるけどこちらに構わず仕事をしていた。そこにいるのにいなくて夢を眺めている感じ。覚醒するまでのドリーミーな感覚が良かった。
今回はマスクをつけた。何回か深呼吸しているうちに眠くないのに眠りに落ちる時みたいな状態になり、すかさず「ぼんやりしてきました」と説明した。それからすぐ意識を失ったと思う。
終わってベッドに移った辺りで意識が戻ってきた。終わったんですか?と一応聞く。ぼんやりしつつスマホを取り出してもらう。家族にLINEを送るが覚醒途中なので変換ミスをする。まだちょっと眠い。点滴をつけているので腕を曲げたりできず片手で打つしかない。身体はわりと大丈夫だった。最初に点滴を失敗されたのが一番痛かったかも。
注射針は打つ度に棄てる。一回きりの使い捨てでリユースできない。それが当たり前だけど、清潔に管理された場所で医療行為を受けていると、これが当たり前じゃない地域のことを思い浮かべてしまう。虐殺が起きている間にスーパーボウルで盛り上がる。私の情報収集アカウントのおすすめ欄は最近好きなアイドルグループとガザの話題がたくさん流れてくる。
先月、海外の安楽死の記事を見てからなんとなくずっとそれについて考えている。私は絶対やりたくない。理由はいろいろあるが、死をまったく信用していないのが一番大きい理由かもしれない。生と同じように信用できない。確証のない大いなる賭けという点で生も死も同じだと思う。
「死ねば苦しみから解放される」と「生きていればいいことがあるかもしれない」は、どちらも無責任な言葉に聞こえる。いったん終わらせることを唯一の解決策として甘い蜜のようにとらえる発想は自分にはない。鎮痛剤の効いたドリーミーで痛みのない生も死も存在しないと思う。今まで生きてきて瞬間の幸福は確かにあって、それだけは信用している。