明日ファンミに行く。日本でやるのは初らしい。本当は初めて行くならライブがよかったけど、はまって2か月足らずで会える機会はそうそう巡ってこないし、来日自体も限られているから迷って結局行くことにした。
躊躇した理由のひとつにハイタッチ会がある。参加者はメンバー全員とのハイタッチがついてくるらしい。ハイタを売りにするのはやめてほしい。接触やらなくていいからライブが見たい。たぶん立って対応してくれると思うので、疲れているところにさらに負担をかけたくない。せめて観光地の寺社にある銅像みたいな感じで一段高いところにメンバーがゆったり座り、オタクが手を上に伸ばしてハイタッチしていく構図にできないか?
できれば参加せずに帰りたいけど、本人たちを至近距離で見れることはもう二度とないかもしれないこと、一秒に満たない流れ作業とはいえ対峙したときに自分が何を思うのか興味があって(ハイタが初めて)、参加する方向に傾いている。入院中に思い返して元気になれる思い出をつくっておきたい。というかハイタの有無にかかわらずファンミで本人たちに会える、それだけでもう十分嬉しい。
座席が事前にわかるタイプの現場なので当日のチケ運ガチャの緊張感がない。サークル参加する即売会の前日の「間に合わない・何もままならない」あの焦燥感やうっすらした絶望に比べると、見るだけの現場って気持ちがすごい楽。本当は明日から入院だったけどファンミがあるからずらしてもらって(緊急性の低い人しかできない我儘)、ファンミに行ってハッピーな気持ちのまま入院するという流れになった。すぐ退院できるような手術だけど、好きな何かがあるおかげで不安が少なく過ごせている。生かされているファンがいることを本人たちは知らない、知らなくていいなーと思う。
ちょっと話が違うかもしれないけど匿名だったり名前ありだったりでメッセージをもらうのがとても好きで嬉しくて、作品や他の何かを通じてその瞬間だけは確実に相手とつながる感覚がある。一方的に。距離があるからこそ生まれるものはあると信じていて、それは一般的な意味のコミュニケーションとは違うかもしれないけど、他者のいる世界で生きているということをそのつど実感する。アイドルに対してもそんなふうに思っている。