以前日記に書いた祖父の読書ノートをもとに、図書館で本を借りて読んでいる。
まず読んだのは阿川弘之の『エレガントな象』。文藝春秋に連載されていた随筆シリーズの単行本である。わたしは阿川弘之の娘である阿川佐和子さんのエッセイが好きなので、阿川弘之といえば大作家である前に超頑固で食にうるさい父、のイメージがある。今回はじめて文章を読んだ。
まず、平成の時事問題を従軍経験者の視点から語っているのが新鮮だった。学生の頃は本を買う金がなく、青空文庫や図書館で戦中派作家の小説や随筆を読む機会も多かったが、この頃は金があればすぐ書店で存命著述家の新刊を買っては積読を増やすばかりで、平成以前の文章を読む機会が減っていた。
わたしは当時小学生で全く覚えていないのだが、いわゆる田中真紀子長女記事出版差止め事件に対する所感としてこう綴られていた。
「明らかにこれは、事前検閲の復活だと思つた。」「私どもは青年時代、自由な言論を封じたい政治権力が、皇室に対する不敬とか軍に対する侮辱とか、今ならさしづめプライバシーの侵害にあたる微妙な事柄に一々難癖をつけ、裁判所がそれに追随して、『改造』をつぶし『中央公論』をつぶし、挙げ句の果、明治建国以来七十七年で日本の国をつぶしてしまつたのを、此の眼で見てゐる。平成十年代の日本は、昭和十年代にたどつた滅亡への道を、もう一編たどり直すのかといふ気がした。」(p.36)
なんと、令和も七年を過ぎようとしているなかで、この政治権力による検閲復活の向きがさらに強まっていようとは。わたしは大元の文藝春秋の出版差止め自体は個人のプライバシーとの折り合いなど別の方面からはっきりと賛否を出すことができないのだが、特に今年下半期のインターネットをはじめとした言論空間に、はっきりと戦前の色を感じている。先の大戦から八十年が経ち、戦中の雰囲気を肌で感じた世代の方が本当に少くなっている今、当時を生きた人たちの感じた、考えたことを知るために、もっといろいろと触れなければならないなと思った。
読んでいてひとつ面白いなと思ったことがあった。ヒルティの『幸福論』を読み直した阿川が、挙げられている幸福の定義に「食の幸福感」が入っていないことを不満がっていた。ああやっぱり阿川佐和子の父だなと思った。