もうそろそろ帰ろうかと、職場でツイッター(現X)を見ていると、信じられないような悲しいニュースを目にした。漫画家の芦原妃名子さんが死亡したとのこと。
数日前に、ドラマ化された芦原妃名子さん原作の『セクシー田中さん』の脚本について、ドラマ化にあたり原作者の出した条件や条件が満たされず加筆修正したこと、最終2話の脚本を自ら書くことがもともとの条件だったことなどの経緯や顛末を、芦原先生自らがブログとツイッターで表明したが、結局はポストを削除し、ファンのみならず漫画家や脚本家などご同業の方々の間でも大変影響があり大きく話題になっていた。
『セクシー田中さん』は、最初はLINEマンガかなにかの無料アプリで数話読み、あまりにもの面白さに大人買いした作品で、先日出た新刊も「やっと出たー!」とホクホクで読んだところだった。ドラマは気になりながら見ておらず、評判はよかったようなツイートを多少目にしていて、漫画作品のドラマ化にがっかりさせられることが多い中で、ちょっと安心していたのだった。なぜなら、『セクシー田中さん』自体にそのようなテーマがあると、私は思っていたからだ。
といっても「原作クラッシャー許すまじ」と必殺仕事人が復讐をしていくみたいなあらすじでは、勿論そうじゃなくて。小さきものが大きなものにおもねざるを得なかったぼんやりとある、でも強固な「社会常識」を「おかしくない?」と指摘し解体し、どうすればよいかのロールモデルを新しく優しく差し示してくれるような、人間の生き方についての大切な物語だと私は思っていた。
そんな大切な物語が、テレビドラマになったら大勢にわかりやすいように、登場人物が記号的なキャラクターになったり、機微を感じられないような面白くなくてうすっぺらいエピソードにされたら悲しいなあと思っていた。だから、観ていなくても、ドラマが好評だったことに安堵していた。
しかしながら、原作者のブログとツイートによるとその好評は原作者の尽力ゆえのたまものだったようで、それを読んだ時はただ単に「そんなこともあるのか。大変な心労の中、作品を守ったんだなあ」という感想だったのだけど、それがこんなことになるとは。
『セクシー田中さん』の続きを読めないことももちろん悲しいが、芦原妃名子さんが、死にたくなるほど、死んでしまうほどの辛い目にあってしまわれたことが、そもそもとても悲しい。
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そんなことがあり、少し心がざわめいていたようで、帰宅し、子供達と食事をしたあと、次女を言い負かし泣かしてしまった。
発端は次女が末っ子にロリータとゴスロリファッションについて説明をしていて、その中で次女が「地雷系」や「メンヘラ」という言葉を使っていたので「使っちゃうけれど、それは当事者にとっては使ってほしくない言葉だからそれは頭に入れておいてね」とたしなめたことだった。次女による反論ほどではない言い訳があり、それに対して返事を重ね、ゆくゆくは私が「人の足は踏まないようにしようね、踏んでる人は気がつかないから気をつけよう」というようなことを伝えたのだけど、それがたぶん、次女を否定したように思われたようだった。これが引き金になり、ついでに日ごろの不満もぶちまけられた。次女が泣きながら話すのを聞き整理すると、人を傷つけるつもりなどは無くみんなが使っている言葉をただ使っただけで(「加害者」とは言わなかったが)加害者扱いされた、と思ったようだった。曰く、「なんでここまでくどくど言われなあかんのん」。
私は子供達に対して、理詰めで追い詰めてしまいがちになるらしく、たびたびこのように泣かせてしまうから、気をつけないといけない。だけど、悪いことは悪いときっぱりと伝えないといけないし、使ってほしくない言葉を姉の口から末っ子に聞かせたくなかったし、泣かすつもりはもちろん無かったし。どうすればよかったんだろうと思いながら布団に転がってスイカゲームをしたら、自己ベストを更新して3086点を獲得した。写真は撮ってない。