図書館で以前から読みたかったブコウスキーの『書こうとするな、ただ書け: ブコウスキー書簡集』を借りて読んだ。
いくつか印象にのこったところを引用。

[ラファイエット・ヤング・宛]
1970年10月25日
[・・・] このタイプライターから逃げ出すためにわたしは酒を飲 んだりギャンブルをしたりしなければならない。ちゃんと動いて くれるこの老いぼれマシーンを愛していないということではない。 いつ向き合えばいいのかを知り、いつ離れればいいのかを知るこ と、それがうまく付き合うコツだ。わたしはプロの作家になりた いわけではまったくなく、自分が書きたいことを書きたいだけだ。 そうじゃなかったら、すべてはやっても無駄なだけ。気高いこと を言っているようには思われたくない。気高いことでも何でもな くて、どちらかと言えば、ポパイ・ザ・セーラーマン・の世界だ。(P179)
ブコウスキーに対する批評文も載ってたり。
ギンズバーグの「吠える」以来、ここまで激しく燃え上がり興奮の渦を巻き起こしたシティ・ライツの本は、この出版されたば かりのブコウスキーの膨大な量(四七八ページ)の短編小説集が 初めてだと言える。ブコウスキーは70年代のドストエフスキーだ。ブコウスキーはただ単に短編小説を書くだけでなく、狂気に とりつかれ愛に満ちた彼の魂のすべてがその中に注ぎ込まれてい る。荒々しく剥き出しの文章からは苦痛を突き抜けた混じり気の ない笑い声が轟く。これらの短編小説の多くは愛の物語だが、ありきたりの愛の物語などでは断じてない。頭の中で作り出された のではなく、激しく苦悶する中で血を流し魂を震わせて書かれた ものだ。ブコウスキーはまたユーモアを込めて悲劇を描きもする。 血に汚れた都会、孤独な壁、成就しなかった愛に滑稽さすら漂う 慈しみを携えてしばしば迫り、それはどこか聖人のようでもある。 これらの物語の中には憎しみに満ち、淫らなものもあるかもしれ ないが、ブコウスキーはギャンブラーで・・・・・・彼自身も、書く作品 自体も、どちらも無理して喜ばせようとは決してしていない。(P199)
わたしは駆け出しの作家だという思いにずっと囚われ続けてい る。そこではかつての興奮や驚きが甦る・・・・・・素晴らしい狂気だ。 あまりにも多くの作家たちが、このゲームにしばらく参加してい るうち、熟練しすぎ、用心深くなりすぎてしまったとわたしは思 う。彼らは失敗することを恐れている。ダイスを振れば、最悪の 目になることだってある。わたしはきちんとせず、放埒なままに しておきたい。(P290)
興味深いところもあって良かったけれど、基本的には、手紙のやり取りをまとめた本なので、楽しめたかというと正直微妙なところ。
つまるところ「書こうとするな、ただ書け」という言葉に尽きる一冊かなと。