ObsidianCEOによると「アプリよりテキストファイル」(“File over app"なのだ ) という話が印象に残った。
データを残すには、アプリを使うよりもテキストファイルとして残しておくべきという話。
If you want your writing to still be readable on a computer from the 2060s or 2160s, it’s important that your notes can be read on a computer from the 1960s.
(拙訳):もし2060年や2160年のコンピューターでも読めるようにしたいのであれば、その書かれたものは1960年代のパソコンでも読めるようにすることが重要である。
You should want the files you create to be durable, not only for posterity, but also for your future self. You never know when you might want to go back to something you created years or decades ago. Don’t lock your data into a format you can’t retrieve.
(拙訳): 後世だけでなく将来の自分自身のためにも、耐久性のあるファイルを望むべきなのだ。 何年、何十年前に作成したものをいつ見返したくなるかはわからない。 データを取り戻せない形式に固定するな。
Twitterやインスタグラム、EvernoteやFacebookなど、アプリもいいけれど、どうせ残すなら自由度が高く、ファイルとして残せるものを使ったほうがいいのは当然。
アプリは一時的だけれども、ファイルは管理さえすれば一生残るし。
今使っているアプリはおそらく50年続かないので、きちんと何十年後も残るフォーマットを選ぼうね、という話でした。
当たり前だけれど大切なことだし、やっぱり個人ブログや個人サイト、しずかなインターネット、になどテキストに回帰して「自分の情報は自分で管理しようよ」となるのは当然の流れだったのかもね~。