創作と言葉

ホシガラス
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先日こういう話をしていて、友人にそもそも言葉が届いていないのなら本を買う人も居ないのでは?と言われ、それは確かにそうなのかもしれないが、そうなのだろうかと首を捻っていた。

文章や書き方が好きだから手に取った、という方もいらっしゃるのかもしれないし、それはものすごくありがたいことで、その上大事にして頂いているのなら尚更だ。一方で、題材に興味があるだけという方も沢山いらっしゃるだろうし、手に取って頂ける理由は様々なのではないかと思う(そもそも手に取って頂けることがとてもありがたいことなのですが)。

実感として、創作というのは割と一方通行の側面が強く、目にして貰うことと、それが届いている/いないと分かることは全く別のことであり、大抵において、言葉の行き先はほとんど分からないものだ(ので、まれにお手紙や感想を頂くとものすごく驚き、驚く。ありがとうございます)。

創作は私の一部ではあるが、私の全てを表さない。私から出た言葉ではあるが、物語の力を借りて、言葉に世界を与えているに過ぎない。そして現実にそういった力は持ち込めず、生まれてこの方現実でのやり取りに打ちのめされる事はほぼ毎日のようにある関係上、私の言葉はきっと届かないのだろう、という固定観念が徐々に作られたのだろうと思う。

けれど、これまでに書いた言葉のいくらかは、私の知らない誰かに届いているのだろう。届いていたら嬉しい。