しばしば社会の片隅に許容されて居させて貰っているのだと思うことがあり、本来はどこにも居るところがない、という感覚が生まれてこの方消えたことがない。友人や家族と話しているとそんなことはないのだが、それは私が気質の合わない人を避けているからで、社会に出て労働をしていると、避けられないことは山ほどある。
よくよく考えてみれば、社会にいるということは、本来誰が誰に許しを得る必要もないはずのことだ。けれど、何かにしたたかに躓いた時、過去が時折自分を追い立て指差し責めてくる。こういう時、自分がいかに愚鈍で、人間性に欠け、存在に値しないかということを考えてしまって良くない。
生きることが果てしなく苦しい。ずっと。私はあと何十年これに向き合わなければならないのだろうとも思う。過去を思い出す頻度は減ったが、それでもそれらは未だに私を叩きのめすに充分な威力を持っている。
一方で、ここ数年は、落ち込むところまで落ち込んでこのような状態になった時、今自分は元気だと思っていたが、まあ普通に全然元気ではないのだな、と俯瞰できるようにもなってきた。
本当に欠片も元気でない時は一歩も動けず、家族ですら話したくないのだが、その一歩手前で何とか立ち直れるようになってきた。
自分から自分の意識や思考が引き剥がされることにこの世で最も恐怖を感じる性質であり、薬の類を飲むのがあまりに嫌すぎて医療機関を避けているが、たまにはカウンセリングでも受けるべきかもしれないなとは思う。けれどカウンセリングでいまいち残るものがなかったのも事実なので、焦らず結論を急がず、遠くから自分を見つめる術をもうすこし学べばいいのかもしれない。ここら辺は徐々に図太くなってきたようにも思う。今日も生きることを少しずつ学んでいる。