どれだけ成功と呼ばれるものを手に入れたとしても、理想の自分になることは出来ず、解消されない劣等感が必ず残ると考えると生きていく意味がわからなくなる
それとも成功して手に入れた何かで劣等感を埋めることができるのかな……
銀と金に出てきた梅谷哲は容姿の悪さや知性、品の欠如を莫大な金で補っていた。と思う
「金を持たなければ自分はサルだが、金があれば人間として扱われる」というようなことを言っていた
また別の漫画だが、シュガーに出てくる中尾重光も同じような人間だったけど、彼は金ではなく比類なきボクシングの才能を持っていた
主人公の石川リン曰く「天は二物を与えず、なんて表現じゃ生ぬるい。神は中尾を辛うじて人間にするべくボクシングの才能を与えた」と
別に彼らにその容姿や知性や品に劣等感はなかったのだと思う。けれど、そこに劣等感があっても同じように思えたんだろうか?
自分で思う自分自身の明らかな欠点を金や圧倒的才能という武器で補っても、結局は欠点は残ったまま
他人だったなら他人事だから「何か一つ武器があるなら、優れている点があるなら十分」と甘い言葉を吐けるけれど、自分に対してそう思えるのだろうか?……もし言えたとしても、それは妥協でしかないんじゃないか……?
整形をして見た目をよくしたとする。すると他者評価は高くなるのかもしれない。表面的なものへの劣等感だからだから、見た目ならまだどうにかできるからきっと救いがある方なのだと思う
人種も、民族も、性別も……どうしようもない。肌の色を抜くことも濃くすることもできるけれど、人種という帰属意識から外れることはできない。民族性を捨てることを選べるけれど、その民族であることに違いはない
社会から差別がなくなろうとも劣等感は無くならない。他者評価にのみ価値を感じる人であるなら違うのかもしれないけれど……長らく社会と関わっていない私には他者評価が自己評価に影響を与えるとは思えないので無意味だ
マザーグースはどうしようもないことで悩んでも意味がないといっていた
ニーバーの祈りでもどうにもできないことを受け入れる静穏さの重要性を説いていた
どうにもならないことに気を揉んでいても仕方がないんだと思う。現実逃避と妥協は生きるのが嫌にならないためには大事な技術だから、適度に逃避と妥協をしないといけないね。そうまでして生きていく意味があるとも思えないけど
……現実逃避が受け入れることなのかは分からないけれど……こうやって、何もせずに「万に一つ成功を収めたとしても理想の自分にはなれないんだ」というゼロサム思考で何もしないのが良くない、というのはこの約十年に及ぶ引きこもり生活で理解したつもりだ。本当ならもっと早くに気づいて、もっと早くに行動していなければいけなかったんだけど、これも取り返しのつかない、どうしようもないことだから思い悩んでも仕方ない
それに、今の自分は嫌いだけれど、理想に少しでも近づければいつかは自然と、自分に偽ることなく「これくらいならまあいいかな」と妥協できる点が見つかるかもしれない
スヌーピーも「配られたカードで勝負するしかないのさ。それがどういう意味であれ」と言っていたしね
とはいえ来世では自分に対して悩むことのない人生を送りたいものですね
……一点の曇りもなく、自分には価値があると、自分が好きだと思えるような人生……いいな……