と笑ったのは高校生活最後の年に担任になった若い女性教師で、今より三千倍小生意気だったわたしは必死にこねくり回した二、三千字の小論文を指摘されたというつまらん事実に若干もやっとした。別に馬鹿にされたような言い方じゃなくて、彼女が生徒の空回りを微笑ましくみているのは当時のわたしにだってわかっていたけど。でもわたしはやっぱりムッとしたのだ。なにせ80キロオーバーの自尊心と見栄と虚飾でごてごてに塗れた優等生だったので。それはそれとして、言いたいことがたくさんあるのもそれをうまく伝える術がないことも自覚があったから納得したことも覚えている。
「あなたの文章はね、言葉が多いの」
あ〜それ、それだわ、と思った。ハイティーンのわたしにはもうとにかく聞いてほしいことがたくさんあって、憤っていることがもうそれはそれはめいいっぱいあった。褒められるために勉強したこと、一年間総合成績がずっと一番だったこと、いい子でいようと努めたこと、思っていた評価がもらえないこと、何がやりたいのかだんだんわからなくなること、努力しなければ人並みにはなにもできないこと、頑張らなくても許してもらえるひとのこと、容姿を馬鹿にしてくる理解に乏しい同級生のこと、一番すきな友達の一番好きな友達になれないこと。毎秒ずっと腹が立っていた。全部しぬほどつまらないけど全部本気だった。この頃既に壮大に人格が歪んでいることがおわかりですね。この人に言われて他に印象に残っている言葉が「〇〇(わたし)はいつも何かに怒ってるね」なんだけど、まあばれてたんでしょうね。そんなこと面と向かって言われたことなくて単純にびっくりしたのだ。そしてちょっとうれしかった。四六時中憤っていたけどそれが誰にも伝わらなくて心底腑をぐちゃぐちゃに煮えたぎらせる人生だったから。
別に取り立てて特別な先生だったというわけじゃない。特に贔屓もなかったし。他の教員とはちょっと変わった、歳の近い先生だった。地域ではそれなりに名の知れた大学を出て、よっしゃバリバリやってやるぜ!という意識満々なのが子どもながらになんとなく伝わってきた。当時新卒何年目だっただろうか。今のわたしは当時の彼女の歳をすっかり追い越してしまった。
わたしのことなんて覚えてないだろうけど、先生、わたしこの歳になっても言葉が多いまんまだよ。伝える術も歳不相応にもうひとつうまくいってない。あんなにずっとは怒れなくなったけど。
十年ほど前に同級生と立ち寄った居酒屋で偶然鉢合わせた時、彼女がわたしたちを見て言った「こんなとこで会うなんて、あんたたち大人になったんだねえ」という訛りの効いた標準語。そのしみじみとした音が今も耳に残っている。