手書き派
陰山手帳というシステム手帳があって、社会人2年目の頃から愛用している。
厳しい現場で働いている時は「電子機器持ち込み不可、貸与端末しか使えない、オフライン環境での作業必須」などの条件があったので、手書きの手帳にとても助けられていた。
その影響かしら、Web系の比較的自由な会社に転職した今も、割と手書きで思考を整理する派になってしまった。
一行日記という欄がある
陰山手帳には一行日記というものが後ろの方についているのだけど、仕事にかまけているとすぐに数日ぽっかりと空欄ができあがる。
そうすると「あれ、この数日何をして、スマホではどんなコンテンツを見て、何を食べて寝たっけ...?」と案外覚えていないことがある。
少し遡ると思い出せるのだけど、取るに足らない出来事ばかりで、貴重なはずの時間をいかに漫然と過ごしてしまっているかを自覚できてとても助かっている。
しかし危うさもある。
あとで見返したときに、たった一行に日常を収めてしまったが故に、逆にそれ以外の記憶が塗りつぶされて本当に思い出せない。丸め誤差だ。
なんでも書くことが大事
つい最近友人と通話している時に、「みた映画の内容が思い出せない」といった話題になった。面白かった映画ですら思い出せないって恐ろしい。
思い出として残すには、とにかく反芻することが大事なんだろう。
どんな映画を見て、どこが面白かったのか?誰の音楽を聴いて、何を感じたのか?その時自分は何をしていたのか?
読んだ本からどんな知識を得て、何に役立てられそうだったか?
人様に言えないような出来事は、人に言えないでいるうちに忘れてしまっていないか?
こういうのを反芻するには、一行じゃ足りない。
ちなみに私がやっと思い出した昨日の記憶は、
「小さい鋏で鼻毛を切ってしばらくして、鼻をかんだら細かい毛がたくさんついていて気持ち悪かった」
という出来事だった。これは人様には言えない。このまま忘れよう。