「私には一生縁がないラーメン店だ」
塩辛い、脂っこい、店内が雑然としていそう、客層が合わなさそう、失礼だがこのようなイメージを漠然と持っていた。
地元の田舎道にいつまでも潰れずにポツンとある店舗。ラジオでたまに流れるCMソング。山岡家がトークテーマになっている回。「山岡家はクセになる、そして店が臭い」という同僚からの口コミ。
私の人生には必要のないはずの情報が、小窓の隙間からふっと入ってきて視界の隅を掠めていく。
30余年かけて形成された私のスキーマ。そこに雨垂れ石を穿つかの如く、小さな孔が開けられていたのかもしれない。
「山岡家」
街から自宅に帰るときに利用する幹線道路にはいつもの看板が見える。
「私には一生縁がないラーメン店だ」
そういって私は左ウインカーを出し、車を停め、券売機に入金し、水を飲みながら醤油ネギラーメンの到着を待った。
アクション・スリップ
認知の制御過程における実行段階でのエラーをアクション・スリップと言います。
例えば、ハサミを取りにいったのに、うっかり本を持って戻ってきてしまったというようなミスがこれに当たります。 このエラーは、無意識的に発生するのが特徴です。
引用:心理学用語集サイコタムより
雪が溶け始めた季節のことだった。おかしい。車は冬タイヤを履いているし、路面は十分に融けている。ハンドル操作を誤ったのではない。
帰宅するはずだったのに、うっかり入店していたのだ。
人は毎日無数の判断を瞬時に下し、実行に移しているらしい。箸や茶碗を持ちご飯を口に運ぶ一連の動作ですら、紐解くとかなり複雑な手順を要していることに気がつく。
アクション・スリップにより無意識に山岡家へ入店したわけだが、逆にいうと無意識で入店できるほどに、山岡家が私の中に刷り込まれていたのかもしれない。
実食・退店
結論からいうと、私は舌をやけどした。
分厚い油の層が内側のスープの熱を守っていた。
味は思ったより臭みがなく美味しかったが、いわゆる横浜家系のようなチー油は使用していないようだった。店内はさすがに臭かった。
サービス券が配られ、集めると餃子やラーメンと交換できるらしい。
次にあの幹線道路を通る時、私は左ウインカーを出さずに帰宅することができるだろうか。