足ツボマッサージとか足裏マッサージと言われているものを好んでいる。具体的には、俗に足ツボマットなどと呼ばれるものを買って踏んだりするのが好きだ。踏むというよりは捻じ込むといったほうが近い。自分でやるだけでは飽き足らず、他人にやってもらうサービスを利用したりもたまにする。
いわゆるツボと呼ばれているものは「経穴」と呼ぶのが正式らしい。しかし調べてみると、足の裏にある経穴は湧泉のみのようだ(足の甲の方にはいくつかある)。ややこしいけど、いわゆる足裏のツボ ── 点ではなくエリアを指す概念 ── は反射区というらしい。反射区に基づくのがリフレクソロジーと呼ばれていているやつで、中国発祥ではないそうだ。そしてこれらとはまた別の系統として官足法というのもあったりする。
そういった療法がどれだけ科学的根拠のあるものなのかはわからない。正直なところ、細かな部分まで信じているわけではない。例えば先天的にあるいは後天的に足などの部位が欠損している場合はどう対応するのだろう? などと思ったりもする。
何事もやり過ぎはよくないけれど、ほどよい刺激は心地よい。運動をすれば体の血流がよくなるのと同様に、それらの刺激が体に何らかの影響を与えることはあるだろう(よいことばかりではないかもしれない)。それくらいのふわっとしたイメージでなんとなくやっている感じだ。
たぶんもっとセオリーを信じているなら、言葉遣いに慎重になると思う。たとえば、「それは経絡にはないですよ」とか、「ツボではなくて反射区ですよ」とか。いわゆる「⚪︎⚪︎警察」と揶揄されるやつみたいなことだ。
あと、マッサージに関しては無資格マッサージ士問題ということもあったりするから、「足ツボマッサージ」という呼称はいろいろと厄介な問題を抱えているということはわかるんだけど、そういった行為を一般の人に伝えるときには結局「足ツボマッサージ」というのが一番伝わる気もする。
本来の正しい呼び名や概念があることは知っていても、完全に伝わらないというわけでもなく、それを正すためには強い意思が必要になってしまうときは、「まあ、どうでもいいか」と思ってしまうことも多い。確固たる信念を持っているなら別なのだろうけど。
何らかのメロディを声(あるいは脳内の発声)に出す場合で、歌詞がないけど音の名前を確認したいとき、ドレミ(♭)ファ〜とか言うしかない状況があったりする。
本当はここでミの音がフラットなのだけど、一つの音に対して、「ミのフラット〜」とか、言葉を詰め込めないわけです。音価が短い場合とか、テンポが早い場合とかはとくにそう。でもまあ聞いていれば、これはミがフラットなのはわかるんだから別に「ミ」でもいいかな、となる感じ。
そういうのを克服するためにいわゆる西塚式とかがあって、それで言えばその音は「リ」となるんだけど、西塚式は(たしか)階名ベースなので絶対音感がある人からしてみると、ほんとはソラシ(のフラット)ドレ〜なんじゃないの? みたいなこともあり得るわけだ。そんなふうに音名と階名、いわゆる固定ドと移動ドの話も絡んできたりすると余計に面倒だけど、そういうのって別にちゃんと言わなくてもだいたい内容としては通じるから、実際にはあまり問題にはならなかったりする。
正確に、誠実に何かをちゃんと伝えあったり議論したいとき、前提としてきちんと整理しておかないといけない言葉っていうのがある。というのはわかるんだけど、その心理的なコストを結構重く感じたりするのはなぜだろうか。