伏黒も釘崎も呪の登場人物たちは自分が生きる上で必要な、世界の解釈、物事を公式に当てはめてる?を持っていて根本は変わんなくて、アプデしていくみたいなの。
7巻津美紀の件も善人と悪人が〜っていう伏黒の公式自体はおんなじで、ただ伏黒が津美紀を許容するために自分の中に入ってくる津美紀の情報を歪めて公式に当てはめれるようにした、とも言えると思う。
釘崎は具体的な世界観を保っていて自我が確立しているように思う。8巻虎杖との対話ですぐに席って言葉が出るくらいには。幼い頃から練り上げてきたんだろうなって感じた。釘崎が席を用意して、そこに人を座らせていたのかな?虎杖たちがイレギュラーで、だけど最後には悪くなかったって言いきれる人生だったのは、表面は変わらなくても内面は田舎の頃よりは変わっていたってことなのかな?ある意味誰よりも柔軟な優しい世界だったのかも。
釘崎と対照的に、わかりやすく表面も内面も変わったのは五条と夏油が印象深い。
五条の生き物としての線引きはきっとずっと変わってない。ただ足下のそれを何の気無しに踏み散らすか慈しむか。そこが変わっただけで、けど自分の根源世界の変革は大地震といえるくらいのもの。表面の変化は一人称、教育者としての格好。内面は言わずもがな。もしかしたら子供の頃は花じゃなくて雑草とかに視えてたのかも。勿論例えればの話で実際はもうちょい温情はあったのかもだけど。いや、五条悟だからないかも…?
夏油は一番公式が一般人寄りだと思う。全てに意味を求めてしまうのは知能の発達してしまった現代人が抱える病だなと思ってるので、思考としては一番理解できる。夏油が五条とか他の人をどう思ってるのかは全然わかんないけどネ!
夏油と対局にいるのが五条と羂索。両者ともに世界に意味はないことを受け入れてそこでどうやって自分を楽しませるかに全振りしとる。バチバチにチートステータスがないとこんな生き方出来ないきがしちゃう…。他の人達は上手く見ないようにしたり確固たる理屈をつけて世を渡ってたりする。その理屈付けが途方もなく複雑になっちゃうその過程が葛藤になってる。そんで極端に落ち着く。夏油と日車はこれかな。結局は見ないようにしてた心を受け入れた。夏油の表面の変化は非術師を猿と呼称。教祖としての格好。内面としては全てに意味を求める、から、意味に価値を上乗せして切り捨てるようにした。夏油も自己中心的な世界に生きてたと思ってる。9巻の、悟は最強になった、は寂しさも含まれてるのかびみょいけどそうという前提でいくと、無意識下の自己愛に続く他者愛だから見えるのは他者優先主義???わかんね…要考察。
乙骨の指標は恩義優先。りかちゃん、五条、2年ズに大切にされてきた、はちょいちゃうけど自負があるから、あんな自信ナッシングヒョロガリもやし君は恩を抱えきれないほどみんなに持ってる激重感情の源泉フウゥゥウ〜〜〜〜〜〜↑↑↑↑それがあるから多分一番自己犠牲精神的な考えはしないと思う。大好きなみんなと一緒にいたいもん!死んじゃうのはしょうがないけどそうならないように皆のためにもっと頑張れるんだい!!みたいな。一番タフ。皆のために僕ができることを全力執行!!!
ななみんの基準ってなんだ…?わからない…
宿儺くんは鬼強すぎて怠惰に過ごしてたらなんかいっぱい挑んでくる〜面白いかどうかが絶対☆最近は小僧がなぜかムカつくんだ……心情の変化…?!次回お楽しみに〜〜☆☆状態。