11/25 7:50

·

下書きに入れっぱにしてて公開したら公開の日付変わっちゃった、これいつ書いてたんだ?土曜日かな

どん底の自己肯定感と自己嫌悪からようやく少し回復してきて、自意識の壁が多分えげつないことになっている。自分の何もかもが気に食わねえから少しでも気に入るところを増やしたい月刊、的な。そんなこと言ってられないくらい寒いんですけど(定期)。やっぱ早くKAT-TUNとSixTONESになりたいよ。早くアイドルになってフォロワー(特定)のこと夢中にさせたいよ、と思っていたら「長文ブログとか書く?」って言われてバカ笑った、絶対書く。と、ここのことを思い出しながら答えた。それか不定期更新できる個人ページあったら絶対1日複数回更新とかしてるもんね。でも絶対仕事遅刻とかやらかして干されてそうすぎてダメでーす。アイドルになれませーん。偉すぎる、アイドル。

会社の直の後輩の子、多分色々距離詰めたくて○○に興味あります!連れてってください!とか、教えてください!とか言ってきてくれるのにソロ活動得意すぎてど、どうしたら…になっている。遊びの予定を立てるの下手すぎるので。明日暇だよ!じゃあ会おう!のフットワークで生きてるの、ほんまに気分屋でスマン。と思っている。出かける予定が入るとどんな予定でも少しだけ憂鬱になる、嫌とかではないし絶対楽しむんだけど、そのときの俺はどうだい?になってしまったり予定に追われるというだけで追い詰められる節がある。こんなに現場に行ってるのに?という…。現場もそうだから舞台のチケットギリギリまで取らないようになってしまっててアカン。早くマサラ押さえようね。サンシャイン劇場って結構思い入れ強い劇場だからそこに立つのは見たいので。

ここ数日いつもにも増して平成づいてるけど、わたしってガチのガチ田舎育ちなのにわりとその辺のトレンドに見覚えがあるの、まあ普通にテレビしか刺激がないからテレビ見まくってたのもあるけどきっと周りにいた人の影響だよなと思う。家に家族以外の人が常にいる生活だったから。住み込みのスタッフの子がいて、逆にお父さんショップに住んでたから子守はスタッフの子たちがしてくれていた。夏の間だけいた人もいれば、何年も、本当に家族みたいに一緒に住んでいた人もいて、覚えてる範囲で5人くらいいる、多分もっといたんだろうな。夏の間だけいる人たちは多くは大学生とか、若い子で、そのお姉さんたちがたまーにお化粧道具出してきてくれたり髪の毛やってくれたりしてた。もう夕方の船でこの島を去っちゃうよ、ってときに、髪の毛を可愛くしてくれて、寂しくてコインランドリーで最後のお洗濯してるとこにらついてって、帰ってきてから、都会に帰るからといつもはしないお化粧をしてるのを横で見てたときに青いアイシャドウを塗られたことを覚えている。お姉さんを乗せた船を見送りながら泣きじゃくってたら塗ってくれたラメが手のひらについてキラキラとしていたこととか。テレビを見ながらゴロゴロしてるお姉さんのお尻を枕にゴロゴロしながらテレビを見ることを覚えてしまいお母さんに呆れられたこととか。

あとまあ、小麦肌!ハイビスカス!が日常の世界だったから、当時の感じでいうとそりゃまあそういう人たちがくるかって感じでもある。ビーチ行ったらココナッツの香りの日焼けオイルの匂いが充満してたことも覚えてる。

そこから少し大きくなると日焼けオイルの匂いもそこまで充満しなくなったビーチに、カメラを片手にスピッツを歌いながら歩いてってただ海眺めたりしてた、当時は簡単に音楽を聴く術がなくて、CDウォークマンは持ってたけど、田舎の散歩で持ち歩くようなものではなかったし、聞きながら歩くことができないから歌いながら歩いてた。コンパクトデジカメを片手に、この田舎で過ごす日々がもうすぐ終わることをよく分かっていたから、全部の景色を記録したくて毎日100枚くらい撮っていた。一山越えながら、普通に歩くのの倍かけてジリジリとした日差しの中一人でぶらぶら歩いて、ビーチで遊んでる母親と妹のところに合流したりなどした。海に入るわけでもないので特にやることはないけど、田舎の夏休みはとにかくやることがなく時間だけがあったから。なお、宿題はせず、そのまま出していたが。

急な思い出話

クラスメイトが最大で6人で、全員が幼馴染みたいなものなのだけど、そうなるとどうなるかというと、友達という概念がない世界になる。この子と仲良くしたい、とかもないので。幼稚園のときからずっと一緒だけど、今は連絡先が分からない子が大半で、何をしているのかも知らない。辿ろうと思えば辿れるという慢心もある。上も下もずっと一緒だから、先輩とか後輩とかそういう概念もない。その中で今でもBUMPに誘ってくれる幼馴染は転校生だったから、全然あとの方に出会ってて考えてみたら小6の途中から中3までの3年半しか毎日一緒じゃなかったんだな。ほかが幼稚園からの子で言うと12年とか一緒だったのに。読書が好きでおとなしい子だったけど、勉強のいいライバルになり、たまたま趣味が似てきて、結果今唯一交友関係として続いてるの、不思議だ。当時口数が少なく、静かでミステリアスだと思われがちだった上に、勉強ができて生徒会長にもなってた子だから、不登校生だったのに「静かすぎて授業に手応えがなさすぎるから頼むから授業出てくれ」という謎の要請を受けていた当時からガヤやってたみたいなわたしとは、側から見てるとわりと真逆だったろうなー。医者になって勤務時間が分からん上に結婚もしてしまったから連絡がどんどん億劫にはなってるし、こっから先子供ができたらしたら今みたいにフラッと東京来たときに連絡寄越してきて飲みに行くとか、ライブあるから行こうよみたいにも、ならなくなるんだろうか。

己、性格はあまりよくないのかもしれんが、その割に田舎育ちの純朴さでもってして性善説で生きてると思う。し、出会った人間のこと、一人残らず幸せであれとわりと思っている。思っているのに、心と性格が一致してないが故に疎遠になりそうな縁を繋ぎ止めることが難しくて、色んな人たちの中を流れて生きているんだなあ、みたいな気持ちでいる。SNSがある時代だからギリギリよかった。沖縄メンツに関しては最悪辿ればわかるやろ、があるのは先述の通りなのだけど。コミュニティに属することがおそらく苦手で、そうなると個で繋ぎ止めるしかないのに、それもしないからだね。いつまでも人がいてくれるような人間じゃないのに、そこを怠るなよ、とは、思っている。

なんかめっちゃずっと思い出話すぎる。年取った証拠。

@neoteny
誰かを憎んでたことも何かに怯えたことも全部かすんじゃうくらいの静かな夜に浮かんでいたい