時折、自分の存在意義について考える。実は11月頃からNEPから別のコミュニティに行っていた。その時はかなり躁状態で、11月まで日課だったジャンプの購読やYoutubeの閲覧も一切なくなり、何かしら動き回っていた記憶がある。
コミュニティが変化していくのが好きだ。2015年に移住してきてから、色んなスレや内輪ネタ、空気を作ってきた。コミュニティを移動したのはたまたまで、程よい勢いがあって、何か行動すると反応が返ってくるからだ。
そこで同じタイミングでキャラの立つユーザーがいたりして、その勢いと一緒に盛り上げたりしていた。色々企画したりして、秋葉原で宝探しをやったりした。
そんなこんなで盛り上がってたけど、あまり良い人間ばかりではないので、心無いことをいう人もいる。VIPのノリでそれに応えたら、管理人からBANされたりもした。そんな時期にキャラの立つユーザーも疲れて活動が減っていた。
コミュニティはそうすると、今までのことはなかったかのように、別のものに向いていく。正直、自分たちの活動は誰からも感謝されないし、あってもなくても変わらないのだ。
そんな中12月の末に友達の嫁が自殺した。イラストが可愛くてSNSでもそれなりに人気になって、周りの友達と遊びに出かけていたりした矢先にだ。
SNSでは友達が訃報のツイートをした。悲しむ声がたくさんと、その反響からインプレゾンビが出現し「自殺の真相はこちら」なんて釣りURLを貼っていたので吐き気がする。
10月にも知り合いの友達が自殺していた。27クラブを意識しての自殺らしい。
訃報を受けて悲しんだ人たちは、もうそれを乗り越えて2026年に生きている。何事もなかったかのように。友達も、メンヘラだった嫁なのでトラブルが多く、元カレとの裁判沙汰に巻き込まれたり、自殺に関する葬式などの対応などですごく疲れたらしい。すぐ切り替えて婚活をしている。
自分の家に貼られている、彼女のイラストはもう朽ちてきている。
極端な話、この世界に自分はいてもいなくてもいいのだ。
ジョブズですら、死んだ後もなんやかんやAppleは続いているし、iPhoneも出ている。それが正しい方向かどうかは知らないけど、結局世界は回っている。
いてもいなくてもあんまり変わらないんじゃないか?
必死に何かのために生きようとしたって、死んだらまた変わりができて、必死な自分が想像していたよりも周囲はあまり自分に期待していないんじゃないか?
コミュニティの話もそうだけど、基準が他者依存になっているかもしれない。
「自分がいてもいなくても、何も変わらない」…これを悟ってからが、第二の人生の始まりかもしれない。