統合失調症で退院してから2年が経ちました

ちゃむ介
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前兆はありました。唐突に卒業アルバムを引きずり出し錐を持ち出してきた私は同級生の顔写真の目を潰そうとしたのです。その前に不穏なLINEを送っていたおかげか、仕事を切り上げて帰ってきた父親に止められました。

高校3年生、テストの日。これが最期の学校だ。とその日は全ての肩の荷が降りたように心安らかに一日をすごしました。

夜。家族が寝静まったころ服用していた睡眠薬30日分をすべて開封しTwitterの鍵垢に手のひらに乗せた大量の青と白の薬の写真と共に「飯?」と一言だけツイートしました。その後一番好きな味のエナジードリンクで飲み干しました。結果、翌日救急車を呼ばれ意識朦朧なまま一日入院することになりました。そこから、統合失調症 陽性症状の片鱗が出始めていたと思います。

ある時自分の人格が6つに分かれたことに気がつきました。上を向けば怒り、下を向けば悲しみ、左を向けば冷静、というように角度ごとに人格が宿ったのです。私はその1つ"冷静"に「プちゃん」と名前をつけて可愛がりました。そして意識がフェードアウトしていき、私と私の家族にとっての地獄はここから始まりました。

左は青で右は黄色。青は正しくない。黄色は正しい。ここは東京?(東京ではない)棚に目をむけます。私はその時トランスフォーマーが大好きで、青のキャラクターと黄色のキャラクターのおもちゃが並んでいました。いつのまにか青のキャラクターだけすべて後ろを向かされていました。

正面には父と涙目の母が座っています。父は私の手をギュッとかたく握りしめます。身の危険を感じました。その後父は別の部屋で電話をしているようですが、私はその隙に母に「警察に連絡して。じゃないと殺される」と懇願しました。母は涙を流すばかりでした。(ここからまた記憶が途切れます)

父によると私は急に全裸になり走って玄関のドアをガチャガチャして開けたあと、踊り場で 待て!! と外に出る間一髪で父に手を掴まれ戻されたそうです。

どうやらお外に出るらしいです。両親に手を繋がれてお外にでるのは子供のころ以来でした。頭の中は大好きなアニメに出てくる悪役のキャラクターになりきって、「自分が悪いことをしたんだ。ごめんなさい〇〇さま。」とぼんやり外を眺めていました。

着いたのは山奥の病院です。相変わらず両親が両腕を持ってくれています。とある部屋に連れられ、先生が自己紹介をします。私はそのとき、朦朧としながら聞いた言葉を返すと、口から出たのはウマ娘のキャラクター名でした。その後ソファに寝転ぶと地面と遂になっている自分と融合しそうになって向こうの自分と一体化していきそうになり、

気がついたら監視カメラのついた知らない部屋にいました。

私は統合失調症の陰性・陽性症状を発症していました。

拘束され、自由にトイレにもいけません。ただ叫んでいました。

統合失調症の幻聴・幻覚症状を抑える薬を飲むようになり、暴れることも少なくなりました。

閉鎖病棟での生活はまた別に投稿しようと思います。

そして3ヶ月が経ち、晴れて退院することになりました。

最初の1年間は風呂を介護してもらったり、身だしなみを整えることに興味が出なかったり、もちろん絵も描けませんでした。また別の方法で命を絶とうかとも思っていました。

2年目の今、絵のリハビリを行いながら定期的に通院し身だしなみにも気を使うようになり、ジムに通うことまではじめました。来年には学校に復学することも視野にいれています。

今、生きていてよかったと思っています。統合失調症は恐らく中学生頃からかかっていたと思われ、思い返すと幻聴と被害妄想がとんでもなかったです……薬の副作用でつらいこともたくさんありますが、しぶとく生きていたい。定期的に陽性症状のことを思い出し書き綴るのは薬は絶対飲もう……という自戒のためです。ここまで読んでくださりありがとうございました。

@nesicoso_suke
ちゃむ介の日常や、文章のアウトプットです。