窓口が分かってからは、大学との交渉は思ったよりもスムーズに進んだ。先生が根回ししてくれたのかもしれない。大学に納める金額、知的財産、契約書、ビザ取得のための書類、そんな事をガリガリ進めていった。
一方で、住む場所や車の購入、現地の免許取得とか、生活の準備は全く進まなかった。こういうのは現地に行かないと分からない。行ってからやろうと決めた。8月末、文字通りスーツケース一つで渡米、アメリカに行くのは初めてだった。
場所はマサチューセッツ州ボストン近郊。ボストンの名前は聞いたことあったけど、そもそもマサチューセッツってどこ?なんか発音しにくいくらいの知識しかなかった。
ボストン。マサチューセッツ州の州都。当時の人口59万人、ニューヨークからは飛行機で1時間でだいたい東京大阪の距離、緯度は日本でいうと苫小牧あたり、冬はマイナス10℃以下になる。清教徒がアメリカ大陸に上陸して以来の古い都市で、日本でいうと京都みたいなポジションと勝手に思ってる。実際に京都市が友好都市になってる。
ボストン・ローガン空港に着く。初めてなので誰か車で迎えをお願いできないかと先生に頼み、当日ヒマな一人をよこしてくれることになっていた。つまり、顔も名前も人種も知らない人と空港の到着ロビーで待ち合わせということになる。頼りは向こうが持つ俺の名前が書かれたボードだけ。到着ロビーには何人だろうか、百人以上の人が様々な名前のプラカードを掲げて人を探している。ごった返す中でようやく発見、韓国人のポスドクだった。
握手して早速乗り込む。車の中でラボのことを聞きたかったのだけど、こちらの英語がままならず。彼に日本人の彼女がいた事、日本語が少しできること、韓国語と日本語には似通ってる言葉が沢山あること(自動車はチャドンチャとか)、大した話ではないのに未だに覚えている。アメリカで交わした初めての会話だったからかもしれない。
当初の作戦は大学近くのホテルに泊まり、一週間くらいで生活のことをやっつけるつもりだった。これは甘かった。結果的に安いホテルに変えつつ一ヶ月もかかってしまってる。この話はまた今度。