2024.10
カムカムエブリバディの再放送を見ている。ジャズ喫茶のサマーフェスティバルで、ジョーのクインテットが「On the sunny side of the street」を演奏した。演奏中に客席で、るいが固まっていた。そして、その場から出ていってしまい、追いかけてきたジョーに「過去を忘れたいから岡山から出てきたのに」といった内容を、るいは橋の上で伝えていた。
こんな風に、歌で刺激されて、冷静でいられなくなった時の気持ちを、私は知っている。ちょっと刺激されたので、フィクションの力を借りて供養させてほしい。
聴けなくなった曲はあるだろうか。私には、いまできる限り聴きたくない曲と、過去に聴けなかった曲がある。
過去に聴けなかった曲は、カーステレオから流れていた「サウダージ」だった。きっかけは、25年位前の交通事故だ。四駆どうしで出会い頭にぶつかり、うちの車は横転した。大きな音がしたあと、車内のライトは消え、視界が煙がかり、からだが90度横倒しになっていた。膨らんだエアバッグのせいか、なんだか車内が焦げ臭い。エアバッグが膨らむ時って摩擦が起こって臭くなるのか。
状況を飲み込めずにいたところ、親が「昨日ガソリンいれたばっかだ!!ヤバい!!」と焦っていた。私のからだは恐怖で凍りついたけれど、近くにいた大人が私を車から引き上げてくれた。冬の乾いた寒い夕方だったが、車は燃えることもなく、私のほっぺにかすり傷を負ったのが、最も重い怪我だった。さっきまで乗っていた壊れた車から、大きな音で「サウダージ」が流れていた。
真冬の夕方の住宅街での、四駆どうしの衝突は大きな音を立てた。近所の福祉施設の人が、慌てて出てきてくれた。そして、親切に電話を貸してくれて(みんなが携帯を持ってる時代ではなかった)、事情聴取を受けるために警察へ行くまで、あたたかい部屋にいさせてくれた。施設の職員さんが親切だったのと、警察で「この事故に関して、あなたは親に刑罰を負わせたいですか?」と問われたこと、警察との話が終わったのは0時近くだったのを記憶している。小学生の0時は、くたくただった。事故に巻き込まれて疲れたし、警察は寒いし、なんだかわからなくて怖いし、ほっぺは痛いし、親の機嫌も悪い。とにかくあたたかいところで、私は寝たかった。
ここまでは、よかった。しかし、当時ヒットチャートを賑わせていた「サウダージ」を聞くと、背筋が凍るようになった。曲が流れると、事故のことを思い出して、心が秒で冷え込む。名前がつかない謎のスイッチが、からだにつけられた気分になった。
中学生にあがって、ともだちとカラオケに行くようになった。ポルノグラフィティは、みんなの定番で男女ともに人気があった。だれかが歌う「サウダージ」に心を凍らせつつ、私はのっているふりをした。顔は笑ってるけど、こころは痛かった。心のままに「歌うのやめて」なんて言ったら、みんな興ざめしてしまうと不安だった。ひしゃげて繕いきれない顔面を、私は友達に向けていたんだろう。いっそ言っちゃえばよかったのにね。でもさ、あの頃なんて言ったら、みんなと関係性を崩さずに私の心も守れたんだろうな。今でもわからない。
でも、ともだちといくカラオケは楽しかった。徐々にこころが解凍されていったような気がする。事故から10年を過ぎた頃から、なんとも思わずに「サウダージ」を聴けるようになったし、自分で歌うこともあった。ひにちぐすりが、ゆっくり効いたのだと思う。
2026.2
ここ数年は、聴けないうたがある。あまりに有名な歌だから、具体的な曲名は伏せる。
近年家族が死んだときに、葬式のプレイリストを作った。あれやこれやと故人の好きそうな曲を入れたのだけれど、故人がカラオケで歌っていたからと、誰かがその曲を入れた。葬儀では、プレイリストを順繰りにかけた。その曲は、なぜか葬儀のハイライトにばかりかかった。儀式のはじまる直前の静かになった時間や、出棺のときに流れた。「すごいタイミングでこの曲がかかるね」と誰かと話した。
また、ここまでは良かった。
故人は突発的に死んでしまったので、私はものすごく落ち込んでいた。気分を切り替えたくて、死んでから間もないけれどライブにいくことにした。故人はライブが好きだったから、供養だと思うことにした。梅雨があけたくらいの時期の、何人かが弾き語るイベントだった。 アンコールのスペシャルセッションとして、その曲を演奏しはじめてしまった。
おいおいおい、マジかよ。嘘だろ?特別なセッションを見たい気持ちと、生々しい葬儀の記憶が混ざり合い、私は記憶の渦に飲み込まれた。その日の私は、ライブを観ている人ではなく、立ちつくしている塊だった。
この日から、エモい名曲、みんなの共通言語としてのその曲の威力を知ることになる。避けても避けても、動画で、ライブで、音源で、本家やカバーのその曲を避けきれない。聞くたびに、私の心を冷たいナイフが刺す。日常の一コマで、冷たい感情がみぞおちを刺す。「サウダージ」の時と同じ、名前のつかない謎のスイッチが自分についてしまった。めちゃくちゃ困る日々がはじまった。
先日本家がその曲を、ライブで演奏していたのを見た。代表曲のひとつだし、演奏しないわけはないと心構えをしていたのもあるし、ひとりで観ていなかったのもあるだろう。胸がざわつかないわけはないけれど、悲しみに飲み込まれて崩れ落ちるようなことにはならなかった。まだ手放しで楽しめないけれど、ひにちぐすりが私の傷を癒やしてくれるのを待っている。