仕事に対する温度感の差が発生する理由について考える

Ko
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仕事に対する温度感、即ち仕事観と言ってもいいかも知れないのですが、とても働きやすい人とそうでない人というのは多かれ少なかれいるかと思われます。何故このような違いが出てくるのかを最近よく考えるのですが、恐らく仕事観に違いがあるのだろうと考えています。

私の考える仕事観とはその仕事に対してどのような考えや想いで取り組んでいるか、仕事仲間に対してどのような敬意を払っているのか、という概念的なものだと思ってました。ただ、概念的なのでもう少し深掘りしていきます。

コロナ禍でリモートワークが多くなり、今でもその体制を続けている現場では基本的にやり取りはテキストチャットベースになることが多いかと思われます。このテキストチャットに対して、どのように反応するかというところがまず1つあります。

Slackであればリアクションの1つあるかないかで見たというレスポンスとなりますが、それが1つもなければ見たかどうかすらもわかりませんし、その人の発言を無視しているようにも考えられます。もちろん、無視していいような発言なら良いのでしょうが、メンション付きで発言して何かしら反応が欲しい内容についても何も反応を返されなかったりすると話は変わってきます。

仕事がしやすいと感じる人は基本的に何かしら反応を返してくれる傾向が多い気がします。レスポンスについては例え遅くとも返してくれるのであれば大きな問題はないと個人的には思うのですが、無反応というのは一度や二度はタイミングによってあったとしても、毎回続いてしまうと何だかやりとりがしづらいな・・・というように捉えてしまいます。

仕事観についてはその仕事に対する想いもあるかと思っているのですが、どちらかというと私の場合は相手とコミュニケーションを気持ちよくできるかどうかの方に比重があるのだと最近気づきました。

恐らく同じことを考える人は多いのだと思います。そのために、全員出社を強制するような企業もあります。なんとなく気持ちはわからないでもないですが、個人的には全く無意味だと思ってます。何故なら、テキストベースでやりとりがしづらい人は言語化が出来ていない(または遅い)ケースが多いので、直接会って会話しても曖昧なままやりとりが終わることが多いからです。ただ、この辺の考え方は人によって違うと思います。言語化が苦手な人から考えを引き出すには、直接会話をして質問をした方が引き出しやすいケースもあるかと思います。とはいえ、そういうところは無駄な定例会議を組む傾向も多いので、意味のない習慣化が発生しがちだったりと新たな課題に発展する懸念もあったりします。

・・・という感じに、相手とのコミュニケーションの仕方1つで、動き方・考え方・その後の流れは大きく変わります。相手をどう捉えているかもそうですし、自分がどう捉えられているのかという指標もそこから見えてきます。これらを総合して考えた時、自分は気持ちよく働けているのだろうか、納得感を得られているのだろうか、延いてはやりたいことが出来ているのだろうか、というのが仕事観なのかもしれません。

ちなみに、これは相手が悪いとか自分が悪いとか、そういった話ではないと思ってます。要は仕事をすることにおいて馬が合うか合わないかでしかありません。馬が合わない人が全くいないということはないと思うのですが、かといってそういう人がいるとわかっている現場に好き好んで入りたいとは思わないのが人間です。究極的には単なる好き嫌い、快不快の話かもしれません。ただ、社会で生きる分にはある程度妥協が必要であり、その妥協ラインをどこで引くべきか・・・というところなのでしょうか。

では、どうしたら馬が合う人と仕事ができるのか、どうしたらそういうタイプの人が多く集まる現場へ行けるのか。これについて体験談をもとに深く考えていきたいなと思ったのですが、長くなったので今回はここまでにして次回考えてみようかと思います。