最近この記事を見かけた。そしてこのタイトルへの答えは多分「もちろん大切。ただし我々の安全が脅かされない範囲で」だなと考えている
昨年のウクライナとロシアの戦争開戦以降、最近のイスラエルとハマスの戦争まで、諸々の記事や本を読み、思い出したのは『虐殺器官』というSF小説だった。
『虐殺器官』は癌で夭折した伊藤計劃の最初の長編作品で、この中の主要人物にジョン・ポールという人物がいる。彼は自身がアメリカで不倫している最中に妻子がサラエボで起きた核テロで死亡したことで、「虐殺の文法」を用いて平和に暮らしていた国々に内戦を引き起こしてまわるようになる。
最終的に物語の最終盤で死ぬが、その前に主人公になぜ平和な国々に内戦を起こしてまわるのかを問われ、「全ては私の愛する人々を守るために起こした」と答える。
そしてさらに「人は見たいものしか見ないで暮らしているが、そんな堕落した世界を愛しているしそこに生きる人々を大切に思う」「この人々をテロの脅威から守るにはどうしたらいいか考えた」「彼らの憎しみが自分達に向けられる前に彼ら同士で憎しみあってもらおう」「彼らが我々を殺そうと考える前に彼らの内輪で殺しあってもらおう」「彼らには彼らで殺しあってもらう わたしたちの世界には指一本ふれさせない」と続いていく...。
という話をこの1、2年の出来事を考えるたびに思い出してしまう。実際のところ日本では「戦争はんたーい」「双方武器をおけー」とか「いやそれじゃ生まれ故郷を奪われて人はどうなるんだー」とか話しているが、結局みな日本にいる自分とは関係ないと思って話している。まあそれは正しいとは思うけど、その態度について私自身は決して人権擁護とかではなく、こちらに火の粉が来ないようにしてくれよ、という話なんだろうと思っている。
そして2022年2月24日に始まったウクライナ戦争から、2023年10月7日のイスラエルによるガザ侵攻までの出来事について、私自身はそれを多分興味深い事情、もっとアレな言い方をすればある種の娯楽として享受している。戦争に至る経緯やWW2以来初めてロシア正規軍が隣国と戦争状態になる点、兵器、戦術...。間違いなく私はそれを興味深く享受している。
この先はまだ何もまとまっていないんだけど、これはもう我々はジョン・ポールが目指した世界にいるのでは?という気がして怖くなった。